備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

【映画】ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅

『ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅~』2011・中国/シネ・ヌーヴォ(大阪アジアン映画祭)/鑑賞日 2013.03.16./星4

 

 2010年に東京国際映画祭で上映され2部門受賞、中国では2011年に公開された映画。大阪アジアン映画祭@シネ・ヌーヴォで鑑賞。

 李玉監督の前作『ロスト・イン・北京 』は傑作だった。直接北京のモニュメントや大事件を描いているわけではないのに、大都会北京で暮らす人々の焦燥感などの社会の雰囲気が伝わってくる映画だ。一方、この『ブッダ・マウンテン』は成都を中心とする四川省が舞台。だが(私自身も成都には1996年以来行っていないこともあるが)成都という街の雰囲気がいま一つリアルに感じられなかった気がする。その大きな理由は、主人公たちが話す言語だろう。若者三人組(成都出身が二人と、四川の田舎出身が一人とされている)と張艾嘉演じる初老の女性は、みな四川訛りのない普通話を話していて、架空の都市のように感じられてしまうのだ。 また、挿入される現実の災害や社会問題(再開発と立ち退き)も、ややテーマを中途半端なものにしてしまっている気がする。

 人は悲しみや苦悩をどう受け止め生きていくのか。それがこの映画のテーマだろう。息子を事故で失った初老の意固地な女性をシルビア・チャン張艾嘉が演じる。言うまでもなく映画監督としてのキャリアも長い彼女だが、出演作としては2006年以来。日本で見ている人は少ないだろうが、70年代初頭の初期ゴールデン・ハーベストでデビューした彼女の可憐な姿をDVD等で見ている者としては、感慨深い。

 台湾出身で香港で活躍した彼女に加え、台湾からチェン・ボーリン陳柏霖も出演している。そういえば彼は張艾嘉監督主演の『20 30 40』にも出演していた。

 そしてこの映画の主役はなんといっても范冰冰。バーの歌手姿で登場し、デブッチョをかばいビール瓶を自らの頭に叩きつける姿など、前作同様体当たり演技が炸裂。本物ではないだろうが白酒を何本も一気する姿も。前半のスピード感は彼女の身体が生み出していたと言っても過言ではないだろう。

 范冰冰が張艾嘉のベッドで彼女に泣きつく姿も印象的。都会の孤独感と同時に、女性同士の連帯というテーマも李玉監督の映画に一貫しているように思われる。

ロスト・イン・北京 [DVD]

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【映画】毒戦

 

『毒戦』2012(製作)・中国・香港/梅田ブルク7(大阪アジアン映画祭)/鑑賞日 2013.03.08./星4

 大阪アジアン映画祭のオープニング作品として上映されたのを梅田ブルク7で鑑賞。ジョニー・トー杜琪峰監督の舞台挨拶付き。監督は、初めて全篇大陸で撮影した映画であり、いろいろ制約も多かった、と語っていた。中文ウィキペディアでは、重慶のマフィア一掃運動に取材したものとされており、もしかするとその運動を指揮した薄熙来の失脚なども映画製作に困難をもたらしたのかもしれない。トー監督は『奪命金』でも大陸公開版は、最後にヒロインが自首するように内容を変更させられたようであり、この映画でもその手の制約はあったのかもしれない。が、逆に言えばそのような勧善懲悪という大枠のルールを守っておけば、それなりに製作の自由が保証されたのではないか。

 というわけで、後半で林雪ら、顔なじみの香港人キャストがどっと登場すると、一気にいつものジョニー・トー・ワールドが展開する(それにしても林雪、日本の女性たちに人気のようで、彼が登場するだけであちこちからくすくすと笑い声が起きていた)。息をつくアクション、予想を上回る展開、そしてスタイリッシュな中でどこかユーモアを感じさせる映像。

 前半のおとり捜査の部分でも、コミカルな要素がちらほら。特に笑ってばかりのマフィア「哈哈哥」のモノマネを孫紅雷がするシーン。孫紅雷とルイス・クー古天楽は、『強奪のトライアングル』に次ぐ共演。十年以上前に大陸ドラマで見た時から気になっていた女優・黄奕は、どうも映画では出演作品に恵まれていない印象があるが、この映画の彼女はなかなか印象的だ。

 途中、聾唖者の兄弟が登場したり、吃音症の男が登場したりするが、そういえばトー監督の映画には何らかのハンディキャップを抱えた人間が多く登場する気がする。『強奪のトライアングル』のトー監督パートではヤク中?の林雪。『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』ではジョニー・アリディ演じる言葉の通じない外国人、等々。

 ロケ地は天津と珠海であるが、それぞれ津海と粤何とか、と言い換えられ、架空の地名となっていた。天津は私にとっても留学していた土地であるが、主に郊外の経済技術開発区で撮られているようで、あまり馴染みがなく残念。車のナンバーはそのまま「津」が使用されていた。

 

「植民地期の韓国映画と日本映画の交流について」

 さる3月2日(土)、立命館大学にてJSPS二国間交流事業共同研究 シンポジウム「植民地期の韓国映画と日本映画の交流について」が開催された。幸い、ツイッターなどの情報により開催を知り、当日朝からすべての発表を聞くことができたので、感想を簡単に記す次第。

 私は朝鮮半島の専門家でもないので、聞きながら感じたことは、(同様に日本の植民地であった)台湾との比較の視座の有効性だ。10本の発表のうち、台湾との比較について直接言及があったのは、トップバッターの上田氏ぐらいであったが、その分、まだまだ考察の余地が残されているといえるだろう。

 以下、簡単に感想を述べる。

  • 上田 学 (早稲田大学演劇博物館客席次席研究員)「大韓帝国皇太子記録映画の日本における受容」
    1909年、大韓帝国皇太子の姿を収めた記録映画について。日本における上映は限定的だったとして、1907年台湾で撮影された記録映画『台湾視察』と比較している。『台湾視察』は「台湾生蕃歌妓団」を随行させるなどオリエンタリズム的な視点があったのに対し、大観亭湖国皇太子映画の方はそのようなものが見られない、という。ただ、そのことに触れるのであれば、単一民族幻想の強い朝鮮半島と、漢民族以外に原住民も暮らしている台湾との状況の違いをまず押さえるべきではないか、と感じた。

  • 冨田 美香 (立命館大学准教授)「帝国日本のアマチュア映画文化 朝鮮での展開」
    本題に入る前に、枕として京都の映画業の発展を話された。特に立命館大学に近い洛西地区での映画業について話され、そこには多くの朝鮮人も関わっていた、という話は興味深かった(奇しくも太秦は、古代の朝鮮半島からの渡来人が住んでいたことに由来する地名である)。私自身の母校も立命館大学のすぐ近所なので、面白く伺った。また、本題の小型映画文化、初めて聞く話だが、大変興味深かった。台湾ではどうだったのだろう。

  • 雨宮 幸明 (立命館大学大学院博士後期課程) 「プロキノと国際的労働映画運動 ―WFPLとKAPFとの交流比較―」
  • 李 孝仁 (慶熙大学副教授) 「KAPF映画とプロキノの展開過程の比較研究」
    この両者は共に朝鮮におけるプロレタリア映画活動を扱っていて、近いテーマ。

  • 韓 相言 (漢陽大学講師) 「1920年代初頭の朝鮮の映画産業と朝鮮映画の誕生」
    ソウルの1910年代、1920年代の地図を示しながら、日本人居住区に劇場が作られていったこと、一方朝鮮人の藻が集まる空間は危険視されたため中々劇場が作れなかったことが指摘されていて、興味深かった。同化や差別をめぐる映画の内容も興味深い(台湾の『君が代少年』などと比較することも有効かもしれない)。

  • 梁 仁實 (岩手大学准教授)「在日朝鮮人/在朝日本人の映画経験」
    この方が書いた映画における在日の表象についての論文は読んだことがあったが、今回の発表は戦前に限定される。1933年の日本映画『河向ふの青春』には東京在住の朝鮮人が出演した、との指摘があり、なおかつこの映画を製作したPCLがやがて東宝へと名前を変えることと、東宝が『望楼の決死隊』など内地と朝鮮との関係を扱った映画を撮ることとの間の関連の可能性の指摘は興味深かった。梁氏は述べていなかったが、『河向ふの青春』は、東宝(中華電影も)で活躍し大陸ものを手がける松崎啓次も関わっているし、配給は川喜多長政の東和商事である!ということで、中国も視座に加えると、さらに見えてくることがあるのではないか。

  • 鄭 琮樺 (韓国映像資料院研究員)「比較映画史的な視点から見た植民地の朝鮮の発声映画」
    初期のトーキー映画の様々の試みが紹介される。それにしても台湾とは違って、朝鮮では数多くの映画が作られていたんだなあ、と素朴な感想を抱いた。

  • 斉藤 綾子 (明治学院大学教授)「『新派的なるもの』をめぐって」
    面白かった。新派劇の「新派的」という概念を使って植民地朝鮮で撮られた2つの映画を分析する。『半島の春』は悲劇であるのに悲劇とは描けない植民地状況により、映画を撮ることの不可能性が現れているという。どこかで『新派的』なるものの定義について、詳しく書いておられる文章はあるのだろうか。私自身最近トルストイ『復活』と中国語映画について発表したばかりであり、興味をそそられた。どなたか参考文献をご存知でしたらご教示ください。

  • 咸 忠範 (漢陽大学講師)「1940年代植民地朝鮮でのニュース映画: <日本ニュース>を中心に」
    この方、一人だけかなり時間オーバー、他の方の発表時にも私のとなりでずっとしゃべっておられた。テーマは興味深いし、台湾の場合はどうだろう、などと思わされたのだが。

  • 崔 盛旭 (明治学院大学非常勤講師)「植民地の無意識、崔寅奎の場合」
    具体的な映像に基づきながら、ジャック・ラカンの「視線」と「凝視」という概念を用いた分析。

    というわけで、全体的に大変刺激を受けるシンポだった。京都大学の水野直樹氏(朝鮮近代史)も質疑応答で発言されたが、植民地朝鮮の映画にも大変お詳しいようだ。一方で、映画のシンポなどにありがちなことだが、アカデミズムの外の人が手を挙げてやや頓珍漢な質問をしていたのには、ちょっとしらけてしまったのだが。

    韓国映画史 開化期から開花期まで

    韓国映画史 開化期から開花期まで

【映画】コンシェンス 裏切りの炎

『コンシェンス 裏切りの炎』2007・香港・中国/シネマ神戸/鑑賞日 2013.02.27./星4

 香港・中国2010。シネマ神戸で鑑賞。『強奪のトライアングル』と同時上映。

 ダンテ・ラム 林超賢監督。『強奪のトライアングル』のあとで見ると、破綻なく作りこまれたフィルムという印象が強い(その分、ややできすぎ、という印象も残るのだが)。早い段階で、事件の黒幕が明らかになり、後は主人公二人の対決へと向けてストーリーが展開していく。

 レオン・ライ黎明は髭を蓄えてワイルドな役作り。妻を殺されたことから取り調べ時に感情を制御できない、という役どころ。一方のリッチー・レン任賢齊は、眼鏡をかけていてやや神経質そうな印象を与える。

 冒頭、地下鉄駅の警官襲撃事件と、レストランでの携帯泥棒事件の静止画は、スタイリッシュだ。また、アクションシーンもさすがにうまく見せる。最後は中秋節に行われる香港島は大坑のドラゴンダンス舞火龍が主人公たちの行く手を遮る(映画の原題『火龍』は、ここからとられている。主人公二人が辰年生まれであることもかけているだろう)。香港の祭りに行く手を遮られる場面は『Gメン75』にもあったような気がするし、もっと古い映画にもあったような気がするのだが、思い出せない…。

 『強奪のトライアングル』もそうだったが、これまた広東語と北京語の入り混じる映画。大陸から出稼ぎにやってきた設定の王宝強や、夜の世界で働いていたビビアン・スーは、北京語を話す。ビビアン(きれいだ)の役柄もまた、大陸からの出稼ぎであったことが示唆されている。王宝強、タクシーで「深水埗」と言う時だけは広東語を話す。それぐらいは言えないと生きていけないし、またそれぐらいはすぐに言えるようになる、ということか。

 意外と言及されていないようだが、この映画では、かつてのカンフースター、陳觀泰チェン・カンタイと羅莽がカメオ出演している。二人は同年『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』(打擂台)にも出演し話題になった。ミシェル・イエ葉璇の颯爽とした婦人警官姿も印象的。

【映画】強奪のトライアングル

『強奪のトライアングル』2007・香港・中国/シネマ神戸/鑑賞日 2013.02.27./星4

強奪のトライアングル【Blu-ray】

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強奪のトライアングル【DVD】

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 香港・2007。シネマ神戸で鑑賞。『コンシェンス/裏切りの炎』と同時上映。

 これまで見逃してきた映画だが、見どころはたっぷりだった。監督のクレジットは、徐克ツイ・ハーク、林嶺東リンゴ・ラム、杜琪峰ジョニー・トー。錚々たる面々が三人も、と思われるかもしれないが、これは三人が30分ずつ撮っては、プロットを含め続きを他の監督に任せる、というルールで作られた映画だという。原題の『鐵三角 』(最高のトライアングル)は、登場人物や役者に対するだけではなく、監督たち三人にも向けられた言葉なのだろう。

 この映画が作られた時点で最も輝いていた監督が杜琪峰であることには異論は少ないだろう。三人とも三者三様ながら香港ノワールアクションを、得意とした監督である。が、それぞれ自身のカラーを出しているものの、最後の杜琪峰のスタイリッシュな映像に全てを持っていかれた、という印象が強い。

 徐克は、エンターテイメント映画に通じているだけあり、どのような物語がスタートするのか、という期待感を冒頭で抱かせる。そして秘宝をめぐる強奪もの、というプロットを規定する。

 林嶺東は、映画をサイコ・サスペンスへと誘導し、任達華サイモン・ヤムの妻の心理の闇に焦点を当てる。

 杜琪峰は、登場人物たちをまるで江戸川乱歩の小説のような不気味な村に追いやる。ここでの林雪の形象は、乱歩原作映画のようだ。そして、3グループ+αが入り乱れた争奪戦を、クールに描き出す。銃撃戦でありながら、もはやサスペンスを描くというよりも、反復により彼らの行為の虚しさを映し出しているかのように思える。

 最終的に、物語がすべて解決したか、というと、そこは香港映画にありがちな、判然としないものが残るのだが、それでもハッピーエンドと言われて驚かないのは、杜琪峰監督の強引なまでの自信に満ちた映画作りの賜物だろう。

 三部構成の製作過程の妙、そして三者三様の作風を知るには恰好の映画だと思う。それは時として破綻を招きそうでいて、監督の個性と香港映画特有の大雑把なあり方から、破綻を免れているように思われる。

 おそらく林嶺東担当部分の最後辺りになると思われるが、任達華が妻と踊る場面。あそこでかかる音楽は「愛情像氣球」、もともと1960年の葛蘭主演映画『野玫瑰之恋』で使われていた歌で、映画では静婷が歌っているがレコードでは潘秀瓊が吹き込んでいる。だが一瞬映るレコード面には歌手名として「白光」という名が写っていることも気になった。

 ※youtubeで北京語版を見ることができる(日本上映版は広東語版、孫紅雷のセリフのみ北京語)が、少なくとも冒頭の徐克パートはかなり編集に異同があるようだ。

【映画】雲南の少女 ルオマの初恋

雲南の少女 ルオマの初恋』2003・中国/日本版DVD/鑑賞日 2013.02.26./星4

 日本版DVDで鑑賞。章家瑞監督。2003年の中国映画だが、日本公開は2007年。雲南省は紅河ハニ族イ族自治州・元陽県が舞台。そして元陽と言えば、何といってもハニ族の棚田である。というわけで、棚田の壮大な光景をバックにした、ハニ族少女の初恋物語である。

 ヒロインのルオマは祖母と二人で暮らしており、棚田の耕作の傍ら、トウモロコシを売りに街に出る。内外の観光客が行き交うこの街では、彼女と一緒に写真を撮りたいという観光客が続出する。そこで都会出身で写真館を営む阿明と知り合い、彼女は徐々に阿明に惹かれていくが…。

 私自身、何度か雲南に調査に行っているだけに、親近感を覚えるテーマだった。舞台の元陽県と我々の調査地は同じ哀労山系に属し、雰囲気もよく似ている。ただ違和感もある。少女のイメージには外部のオリエンタリズム的視線が投影されていることは不可避であり、あれほど純真な少女はいないだろうと感じる(実際金銭に貪欲なハニ族も描かれるのに、どうして彼女だけ無垢でいられるのか)。また、消費経済は否応なく農村にも及んでおり、我々が調査をしている土地でもテレビや香港アイドルのポスター等は普通に存在している。このような未開で無垢の存在というのは幻想にすぎないのではないか。

 言語の面でも気になることがある。この映画では、普通話とハニ語が使われる(日本語・広東語・英語・朝鮮語などが流れる瞬間もあるが)。だが、現地に行って痛感するのは雲南方言の強さである。意外なことに、少数民族の地元民の多くは雲南方言は操ることができるものの普通話をうまく話すことはできないのである。ついでに記せば、字幕では阿明は「昆明」に戻る、とされていたが、彼の地元は昆明ではないだろう。上海あたりからオリエンタリズム的視点を持ちながら雲南に来た若者、という印象を受ける。完全な普通話を話していることもそれを裏付ける。

 全体的にはさわやかな印象を受けた映画であるが、その物語を支える、他者としての少数民族表象という枠組みはおさえておいたほうがいいだろう。

 監督の章家瑞はこれがデビュー作。雲南には思い入れがあるようで、この後も張静初をヒロインに起用して三作雲南を舞台にした映画を撮り続ける。この映画のヒロインを演じた李敏は可愛らしいのだが、この後ブレイクすることはなかったのは残念(日本版DVDの特典映像では、私に故郷にようこそ、のようなことを話していたが、彼女自身ハニ族なのだろうか?)。

雲南の少女 ルオマの初恋 [DVD]

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【映画】奪命金

『奪命金 』2011・香港/シネマート心斎橋/鑑賞日 2013.02.25./星4

 

 

 2011・香港。ジョニー・トー杜琪峰監督。シネマート・デイ(メンズデイでもある)にシネマート心斎橋で鑑賞。平日昼ということもあってか観客4名。

 

 シネマートで何度か予告編を見たのだが、予想していたものとはだいぶ異なっていた。そもそも『奪命金』(原題同じ)という題からして、主人公たちが破滅に追いやられる、というプロットを想像しがちだ。また、ジョニー・トー監督といえば、香港ノワールの旗手。刑事役のリッチー・レン任賢齊、ヤクザ役のラウ・チンワン劉青雲らの間でドンパチあって、手に汗握るサスペンス、と思いきや、そのようなものはない。あるのはバブルと金融危機に踊らされる人々、そして銀行の冷酷さ、等々、香港にいかにもありそうな人々を淡々と描き出す。もちろん殺人事件は起き、人も死ぬのだが、それはありがちな香港ノワールの常套句へとは回収されない。

 

 リッチー・レン、ラウ・チンワン、そしてデニス・ホー何韻詩の三人が、とある強盗殺人事件と交錯する。それぞれの視点により事件前後を描いていく。そのため、時間軸は時に逆戻りする。それぞれ、金銭的に(あるいはそれ以外の生活でも)苦境に置かれ、カタルシスに行くのか、と思いきや、意外な結末が用意されている。

 

 ジョニー・トーならではのスタイリッシュな映像で、香港の実像を描いたこの映画、あるいは「奪命金」というタイトルの肩透かしも確信犯だろうか。携帯電話の着メロも、効果的である。着メロ映画ベスト10、などという企画があればぜひこの映画も選んでほしい。

 

 付記しておきたいのは、ラウ・チンワンのボス役で出演している譚炳文だ。1950年代から広東語映画や流行歌の世界で活躍しており、本作は『エレクション』シリーズに続くジョニー・トー映画出演となる。もう一人、見逃せないのがテレンス・イン尹子維。香港映画ファンには言わずと知れた俳優だが。古い香港映画好きとしては、どうしてもジェニー・フー胡燕妮の息子、ということを強調したくなるが、ここでは普通話(北京語)を話す株売買組織の元締めを演じている。