備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

梁楽音について(覚書)

以下は一ヶ月前にFacebookに限定公開で書いたメモ書きだが、どこに行ったかわからなくなりそうなので、ここに保存しておく。


 

しつこくも、服部良一が「中国の五人組」と呼んだ作曲家の一人、梁樂音について検索していて、googleブックスを検索すると、

上海百業人才小史 - 許晚成 - Google ブックス

を見つけた。

「275 ページ

上海百業人才小史 975 梅頌先年閱歲上海人明德女子中小學校長泰山路 683 號*梁樂音(覺民〉;律鈕歲廣東開平人聶會肆嫣於日本翀戶關西夜學校警察學校同文中華學校天健八里台商業割嗶校天津電話側?浦開學校日本大阪音樂學校 2 叭專科前任國民 ...」

 

中身をネット上で読むことはできないので、この文字化けしまくりの引用部分に頼ると、まず、梁樂音(覺民〉とあるのは、先日検索した全国報刊索引で、「梁樂音が戦後梁覺民と名を変えている」という記事を見つけたので、彼のことが記されていることは間違いない。

「廣東開平人」というのは

「中国の五人組」(服部良一)について - 備考欄のようなもの

に引用した『光藝』に掲載された記事が本籍を広東・順德とするのと微妙に異なっている。

 

「肆嫣於日本翀戶關西夜學校警察學校同文中華學校天健八里台商業割嗶校天津電話側?浦開學校日本大阪音樂學校」

の部分、推測するに

「肆業於日本神戶關西夜學校、警察學校、同文中華學校、天津八里台商業××[二文字不明] 校、天津電話側?[この三文字意味不明]南開學校、日本大阪音樂學校」

ではないか(ただし戦前には「警察学校」という名前の学校はない。同文中華學校というのは当時の神戸華僑同文学校、現在の神戸中華同文学校のことか)。

 

天津で学んだことも、『光藝』の記事に、「16歳で帰国し、天津の南開に学び、卒業後また日本に戻る」とあることにも合致する。とすると、注目したいのはその後ろの「日本大阪音樂學校」である。彼は現在の大阪音楽大学の前身、大阪音楽学校に学んだのではないか。大阪音大には博物館もあり、校史資料もあるようだ。問い合わせるか、訪ねると、何かわかるかも知れない。

 

一方、『上海百業人才小史』は日本では読めない。オンライン図書館の「超星」も久しぶりにチェックしたが所蔵なし、中国の古書サイトにもヒットせず。とりあえず、中国国家図書館、ハーバード・イェンチン図書館、コーネル大学図書館、等々にはあるようだ。