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備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

大阪蓄音器と樫尾長右衛門

中国のレコード史を調べている。

民国期上海には、レコード工場を持ったレコード会社は三つしか存在しなかった。それが百代(パテ)勝利(ビクター)と、ここでとりあげる大中華唱片である。

大中華は、これら3つの会社のうち、唯一の中国資本だった。だが、その会社の創立時には、日本人・日本資本が関わっていた。

それが、大阪蓄音器社長の樫尾長右衛門の弟か息子にあたる、樫尾慶三である。

大阪蓄音器については、その沖縄レコードをめぐって、高知大の高橋美樹氏に論考がある。頂いた論文、直ぐに見付け出すことができないので、今回は参照せずに書かせていただきます。

 

樫尾長右衛門・樫尾慶三については神戸新聞の「レコード120年 埋もれた音と歴史」という連載記事で言及されていて、ネット上でも読むことができる

神戸新聞の記事は、帝国蓄音器(テイチク)創業時の樫尾慶三との関わりを記している。

通称「花屋敷スタジオ」も不可解である。兵庫県川辺郡川西町寺畑字奥豆坂花屋敷(現在の川西市花屋敷一)にあったテイチクの吹き込み所のこと。山口亀之助著「レコード文化発達史」によると、白クマ印ナショナル・レコードを大正元年から数年間出した大阪蓄音機(樫尾長右衛門社長)の取締役だった樫尾慶三氏が中国・上海に渡って「鸚鵡(おうむ)牌レコード」を製造。その権利を現地法人に譲渡して昭和四年五月、帰国後、花屋敷にスタジオを設け、後にテイチクに譲ったと言うのである。」(※「大阪蓄音器」を「大阪蓄音機」と誤記している)

樫尾慶三の足跡を記した中国側の一次資料は、見つかっておらず、樫尾長右衛門樫尾慶三については、これ以上調査が進まずにいた。

だが、今回ひょんなことから、樫尾長右衛門が編集した書籍を見つけることができた。樫尾長右衛門編集兼発行『有馬開放生活の思ひ出』(活人社、1923)がそれであり、わずかに神戸市立中央図書館のみに所蔵されている。先日、同書を閲覧したので、それから分かることをここに記しておく次第だ。

まず、この『有馬開放生活の思ひ出』は何について記した本かというと、別所彰善(この本の中では別所晃洋とも)が主催する精常院が1922年に行った「有馬夏期林間講習実習会」についての記録をまとめたものである。参加者の体験談や名簿なども記載されている。一種の身体鍛錬のための合宿のようなものだろうか。

樫尾長右衛門は、この出版元の活人社の社長とされている(東京にも同名の会社があったようだが、大阪のこの会社とは別だろう)。また、彼は編集後記にあたる「編輯を終りて」を「樫尾雛山」の名で記しているが、それによると、この本は『活人』の増刊(有馬記念号)にあたる、とのことである。『活人』は、精常院の機関誌であり、彼が別所彰善の片腕として活躍していたことが伺える。

大阪蓄音器は、1917年に東洋蓄音器に吸収される。樫尾長右衛門はその後レコード業界から離れ、このような活動に転じたのだろう(一方の樫尾慶三はレコードの夢を上海に追い求めに行った、ということになるだろうか)。

なお、「有馬林間講習兼実習会参会者」のリストには「南区上本町七丁目千秋園」という住所の「樫尾より子」という名前がある(樫尾より子は、短い参加体験談も寄稿している)。奥付に記載されている長右衛門の住所は「大阪市南区上本町七丁目五二六六番地」であり、このより子は、彼の妻か、同居している一族と考えられる。(なおこの住所は、山口亀之助『レコード文化発達史』に記されている彼の住所とは異なる。)

精常院の主催者・別所彰善については、このページに詳しい記載がある。精常生成尋常高等小学校、生成学園小学校といった学校を創設するも、1940年に亡くなっている。なお、、現在は生成小学校は存在しないようだが、学校法人精常学園・生成幼稚園は、今も宝塚市雲雀丘山手1丁目に存在している。

と、ここまで調べて、あっと思った。「雲雀丘」である。樫尾慶三が帰国後にスタジオを作った花屋敷とは隣接し(宝塚市川西市の境界に近い)、現在、最寄りの阪急電車の駅名は「雲雀丘花屋敷」となっている。先のリンク先の年譜によると、別所は1926年頃に花屋敷に土地を得て、精常会の林間講堂などを立てているようであるから、樫尾長右衛門の息子か弟に当たる樫尾慶三が帰国後スタジオを作ろうとした際、長右衛門のつてを頼って精常会の土地の一部を譲り受けたようなこともあったかもしれない。

なお、樫尾慶三の花屋敷スタジオは、霊媒が語る死者の声を録音する実験を手がけている。またこれを書きながら、樫尾長右衛門が『有馬開放生活の思ひ出』で用いていた筆名(号)の「樫尾雛山」で検索すると、彼がその後1936年に『慈光』という雑誌の編集を手がけていることがわかった。川西町 (兵庫県) の慈光会の発行。検索すると、現在も宝塚市花屋敷荘園2丁目に慈光会という宗教団体が存在する。スピリチュアルなものにずっと興味を覚えていた兄弟(親子?)だったのだろうか。

『活人』『慈光』、共に国会図書館所蔵。これらを読めばさらなるヒントが見つかるかもしれない。それとも慈光会、あるいは生成幼稚園を訪ねれば、樫尾一族について何か詳しいことが分かるだろうか。

※(2/6追記) 昨日(2/5)早速行動を起こしたところ、一気に様々なことが判明しました!きちんとした形にまとめて、いずれご報告したいと思っています。

 

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