備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

「中国の五人組」(服部良一)について

 国民栄誉賞を受賞した作曲家・服部良一(1907-1993)が、戦時中上海で中国の音楽家たちと交流したことは、広く知られているだろう。しかし、彼が「中国の五人組」と呼んだ音楽家たちの顔ぶれやその詳細な経歴については、やや不可思議な点や不明なことが少なくない。このエントリーでは、この「中国の五人組」、特に梁楽音と陳歌辛について詳述することとする。

 さて、服部はその自伝『ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史』で、以下のように述べている。

 なお、昭和二十年前後の上海には、厳工上、陳華辛、梁楽音、黎錦光、姚敏という第一線の作曲家がいた。陳華辛は『薔薇処々開』、梁楽音は『売糖歌』、 姚敏は『ドラムソング』、黎錦光は『夜来香』というヒット曲をもっていた。

 ぼくはこの人たちを、有名なロシアの五人組やフランスの六人組の作曲家たちになぞらえて「中国の五人組」と呼んで新聞にも書き、親交を結んだ。このうちの『夜来香』の黎氏が昨年(昭和五十六年初夏)来日したので歓迎会を開いて互いに再会を喜び合った。ことに、もと李香蘭大鷹淑子さんがぼくのピアノで『夜来香』を歌ったシーンは、NHKがテレビで放映したので、ご覧いただいた方々も多かったであろう。*1

  この中には明らかな誤記がある。陳華辛とあるのは陳歌辛の誤りだ。実は同書のもととなった日本経済新聞の「私の履歴書」では、陳歌辛となっていたのだが、どういう訳か単行本としてまとめる際に陳華辛と誤ってしまったようだ。残念ながらこの誤記は、『服部良一の音楽王国』や上田賢一『上海ブギウギ1945―服部良一の冒険』でも踏襲されている。

  ついでながら、服部が姚敏の代表曲を『ドラムソング』としているのも気になる。これはいったい何の曲のことだろうか。推測するに、これは姚敏が上海時代ではなく、香港に移ってから作曲した「第二春」のことではないだろうか(同曲は英国舞台版『スージー・ウォンの世界』のなかでDing Dong Songとしてカバーされた)。

厳工上は五人組の一員か?

 さて、それ以外にも気になる点がある。ここで「中国の五人組」として名前が挙げられた人々の生没年を列挙してみる。

・厳工上(1872-1953)

・陳歌辛(1914-1961)

・梁楽音(1910-1989)

・黎錦光(1907-1993)

・姚敏(1917-1967)

こうして見ると、1907-1917年の間に生まれた他の4人に対し、厳工上の年齢がずば抜けて高いことがわかる。1945年の時点で、他の4人が二十代から三十代であるのに対し、厳工上は73歳(服部は黎錦光と同じ38歳)。これはいくらなんでもおかしいのではないだろうか。厳工上が誤記である可能性をさらに高くする証拠として、李香蘭こと山口淑子の自伝からの引用を見ていただきたい。黎錦光作曲の「夜来香」をモチーフとしたリサイタル「夜来香幻想曲」(陳歌辛・服部良一指揮、1945年5月)についてのくだりである。

 ――初日の夜の舞台が終わり、上気して楽屋に引きあげてくると、人ごみの中からヨボヨボの老人が杖をついて近づいてきた。事情を聞くと、「売夜来香」の作曲者だという。作者は行方不明と聞いていたが、本人があらわれたのである。黎錦光氏と服部さんは、老人としっかり手を握りあった。*2

 ここで言う「売夜来香」とは、正しい題名は「夜来香」であり、黎錦光作曲の同名曲「夜来香」にも影響を与えたとされ、女優・胡蝶が映画『夜来香』(1935年)の中で歌ったものだ。実はこの胡蝶版「夜来香」の作曲者こそ厳工上なのである。

もし彼が日頃から服部と交流していたならば、この時にいきなり楽屋へ近づいてくるということはありえなかっただろう。従って、厳工上は「中国の五人組」ではなかった可能性が高い。インターネット上を検索するだけでも中国語圏でも厳工上、陳歌辛、梁楽音、黎錦光、姚敏を「中国流行音楽の五人組」と呼ぶサイト・文章は数多く見られる。服部の勘違いにより、この表現はかなり定着してしまったのではないか。

(黎錦光は1990年のインタビューで、「香港の書物に厳工上、陳歌辛、梁楽音、姚敏とあなたを「中国流行音楽の五人組」と呼んでいるのを見ましたが、そのような呼び方は当時からあったのですか」という質問に対し、「当時はそのような呼び方はありませんでした」と答えている。*3

 それでは、服部は厳工上を誰と勘違いしたのだろうか。最も可能性が高いのが、彼の二人の息子、厳個凡(1902-1958)、厳折西(1909-1993)のいずれか、特に年齢の近い厳折西ではないだろうか。戦後の白光「如果没有你」などが特に有名だが、1920年代から明月社に加入、30年代から流行歌の作曲を手がけている。

梁楽音の経歴の謎

 他の音楽家たちの経歴は比較的はっきりしているのだが、この中でも最も経歴が謎に包まれているのが梁楽音である。日本で生まれた彼は、1940年代前半に突然中国の楽壇に登場し、それまでの経歴が不透明であった。だが、僅かな資料から彼の経歴をたどることができる。

 シンガポールの映画雑誌『光藝』に掲載された記事*4によると、本籍は広東・順德だが、両親が日本で商売をしており日本で少年時代を過ごした。16歳で帰国し、天津の南開(中学)に学び、卒業後また日本に戻る。日本にいる間はずっと音樂に興味を持ち、修養を積んだという。日中戦争が起こると第二の故郷日本を捨て祖国へ帰り、映画界で働くようになる。「博愛」や「売糖歌」の傑作によって実力を示した。香港に移住後も映画会社のために働いている。

 これだけでは彼の上海での役職がわからないが、実は彼は日本の支配下で統合された映画会社である、いわゆる中華電影、厳密には中華聯合製片股份有限公司(1942年4月成立)、そして合併により統合された中華聯合電影公司(1943年5月成立)の音楽組主任を務めていた。これ以前の上海の音楽界において無名だった彼がこのようなポストを得ることになったのは、日本で生まれ育った彼の日本語能力と無縁ではないだろう。そのようなこともあり、音楽家仲間からは不審の目で見られることもあっただろう。先にも引用した黎錦光のインタビューでは、次のように述べられている。

梁楽音は東京帝国大学の音楽科で学んだことがあると聞きました。私は彼との付き合いは少なく、彼は日本通でした。中華聯合製片有限公司が成立してから、彼は日本人の紹介でやって来て、音楽科の科長に就任しました。上海のあらゆる映画会社が華聯に統一されました。映画『万世流芳』は華聯が撮ったもので、梁楽音がこの映画のために作った「売糖歌」は李香蘭が歌ってからたいへん流行しました。彼はさらに「紅歌女忙」なども書いています。日本が投降した後彼は上海を離れ、香港へ行き、生命保険会社で重役をしています。彼は音楽創作の知識はいくらか持っていましたが、軽音楽については熟達していませんでした。*5

梁楽音が東京帝国大学に通っていたかどうか、あるいは香港で生命保険会社に関わったかどうかは、今のところ他の資料から確認することはできない。だが、少なくともここからは日本と関わりが深く、戦後香港へと脱出した梁楽音に対する黎錦光の冷ややかな視線は感じることができる。

 しかしながら、梁楽音が対日協力者であると断じるのはまだ早計である。実は、彼は国民党の地下工作者だったという証言があるのだ。方翔がその著書の中で紹介しているところによると、屠光啓が香港の『万象』誌に「梁樂音及其地下工作」という一文を記しているという(号数など不明)。その内容を孫引きして要約すると、以下のようになる。

 彼は日本語ができるため、日中双方から売国奴、スパイという嫌疑の眼差しを向けられる立場にあった。ある日、屠光啓は梁樂音から打ち明けられた。彼の父は日本人によって殺されたのだと。これは彼の立場の表明でもあった。戦争末期、梁楽音は屠に対し、日本がまもなく投降することを告げ、さらに「シーッ」と他人に漏らさないよう合図した。果たして翌日、日本の投降のニュースが伝わってきた。だが、それと同時に梁楽音は十日あまり姿を見せなくなる。みんなが心配していた頃、かれは軍服姿であらわれた。彼は淞滬警備司令部に属する少校で、表向きの仕事はカムフラージュに過ぎず、しかもそのことは中華電影のトップであった張善琨も知っていたのだという。*6

 さらに、黄仁によると、ソースは明らかではないものの、「中華電影の内部にはさらに重慶側の地下工作員も潜伏していた。例えば勝利後に身分を公開した音楽組長の梁楽音がそうであるが、川喜多[長政]も実情を多少は知っていたものの、できる限りそれを庇った。*7」とのことである。日本占領期上海の複雑な情勢のもと、梁楽音がその日本語能力と立場を利用しながら、国民党のために地下工作を行なっていた可能性は大いにあるだろう。

 香港移住後の梁楽音は、映画音楽を引き続き手がけ、また弟子をとって音楽を教えたりしていたが、意気消沈していたという。*8一方、香港の新聞を検索すると、彼は日本との交流を保ち、しばしば訪日している。1952年12月には映画音楽の担当および服部良一とのリサイタルを開催するため訪日したという。*9続いて、1961年には日劇「秋舞祭」(=秋の踊り?)の中国歌劇のパートの音楽担当のために来日している。*101967年には甥のハーモニカ演奏家・梁日昭を伴って来日して日本の音楽界を見学、これは創価学会系の音楽団体、民主音楽協会の招聘によるものだったという。*11

 この梁日昭(1922-1999)、作曲家・音楽評論家の梁宝耳、ドラマーの梁日修、歌手・声楽家の梁月玲ら兄妹は甥・姪にあたるという。また、香港から台湾に移って活躍した映画監督の梁哲夫(1920-1992)は従弟であり、梁楽音と梁哲夫は香港で『苦海鴛鴦』(1956)という広東語映画を共同脚本・共同監督しており、梁哲夫はその後台湾に渡って活躍する。この辺りの縁者に取材が出来れば、梁楽音の日本時代を含む詳しい足跡がわかるかもしれないのだが…。

陳歌辛の「愛国」の真偽をめぐって

 さて近年、陳歌辛について再評価が進んでいる。「玫瑰玫瑰我愛你」の欧米のカバーバージョンが大ヒットしたことが国内でも知られるようになり、息子の陳鋼氏が編著者を務める『玫瑰玫瑰我愛你:歌仙陳歌辛之歌』(上海辞書出版社、2002年)、『上海老歌名典』(上海辞書出版社、2002年、2007年新版)などでも陳歌辛の流行音楽史における地位が高く評価されている。

 一方、これに対して異議を唱えるのが1930年代~40年代流行歌歌詞集『解語花』シリーズなどの著書を持つ呉剣氏である。彼女は、『玫瑰玫瑰我愛你』『上海老歌名典』それぞれへの書評を通じて、陳歌辛、そして彼を高く評価する陳鋼氏への批判を展開する。また、その中国流行歌史に関する著書*12においても、陳歌辛への評価の低さは際立っている。その批判のポイントは多岐にわたるが、ここでは呉剣氏の言う「陳歌辛は愛国か」問題に絞って確認してみたい。

  彼女は、陳鋼氏が人々に父・陳歌辛が愛国的だったと信じこませようと宣伝している、として批判する。*13確かに、陳鋼氏は父がかつて愛国的な楽曲を作曲し、太平洋戦争の勃発後は日本軍に捕えられ、ジェスフィールド路76号の監獄へと送り込まれたことを述べるものの、太平洋戦争の時期の彼の具体的な活動については触れられることはない。そして彼が愛国的であったことばかりが強調されるのである。一方、呉剣氏は梁楽音と陳歌辛が日本占領下の映画楽曲の大半を手がけたことを指摘する。*14また陳歌辛が1943年中華電影に加入後、「王道楽土」を賛美する内容の歌詞を作詞していることを指摘する。彼女が例に挙げるのが以下の二曲である。

《蘇州之夜》(仁木他喜雄作曲)

夜深人靜時,長空月如鉤,鉤起游子鄉心,歸夢到蘇州。白蘆高長岸上,紅葉遍開山頭,月下洞庭泛舟,山河處處錦繡。

《姊妹進行曲》(梁楽音作曲)

我們眼中沒有黑暗,山河如錦,百花爭艷,姊妹們一同走出閨房,過去的別留戀,未來的正無限光明燦爛。

前者は映画『蘇州の夜』で李香蘭が歌ったもので、中国語版は周璇が吹き込んでいるが、レコードは極めて珍しい。

前者は蘇州の美しい風景を描いたものであり、「王道楽土」を賛美するとまで言えるかどうか。後者は美しい現在と未来を賛美するものであるが、出所不明。もし映画の中で使われた曲であるとすれば、映画のストーリーとリンクする歌詞であるかもしれず、映画で使われた楽曲ではないとしても、これだけで日本支配を肯定し賛美するものと断定するのは早計であるように思われる。

 呉剣氏はさらに、陳歌辛が「大東亜民族団結行進曲」を創作していること、神風特攻隊を称える「神鷲歌演奏会」において自らが作曲した神鷲讚美歌を指揮していることを指摘する。*15このような事実は、もはや言い逃れのできない対日協力の証拠であるかのように思われる。

 だが、呉剣氏も述べるように、彼は1943年ごろから中華電影の音楽科に参加しているのである。彼は中華電影の雑誌『新影壇』第4期(1943.2.5.)に掲載された座談会に、中聯音楽組同人の一員として(陳昌寿の名前で)参加している(他の出席者は梁楽音、陳白石、黄立德)。そこで彼は、『新影壇』の以前の二号は見ておらず、この号(おそらく1943.1.5.の第3期を指す)は今目にしたところだ、と述べている。*16してみると、彼が中聯(中華電影)に参加したのは、1943年初頭の可能性が高いと思われる。もともと抗日歌曲を創作し、日本側にも捕えられた彼が遅れて音楽組に参加したのは、もしかすると地下工作者だった(可能性が高い)梁楽音の説得によるものだったかもしれない。その際、梁は自らの身分を明かして、安心させたことも大いに有り得る。

 もし、陳歌辛自身が、祖国を裏切って完全に日本側に付いていると自覚していたならば、終戦後に次のような行動はとるだろうか。

  八月十五日、終戦の詔勅を陸軍報道部で聞いたのである。

 この日を境に、日中の立場が逆転した。[中略]

あすからどこへ引いてゆくかわからない身なのに、中国人の友だちから「オメデトウ」の電話がかかる。夜になると一升ビンを持って訪れる陳華辛(ママ)など中国の作曲家もいた。ぼくには、なぜ、めでたいのかわからなかったが、

「戦争がすめば音楽家同士は国境がないのだ。さあ、仲よくやりましょう」という温情に思わず頭が下がった。*17

日本側に付いた裏切り者である嫌疑を自覚していたならば、このように服部良一のもとに通うことで疑われることは避けるのではないだろうか。もしかすると、彼は梁楽音を通じて、国民党側などの了解を得ていたのかもしれない。そして、戦後直後には抗戦勝利を賛美する楽曲を手がけていくことになるのである。

 ただし、戦後の新聞記事には梁楽音や陳歌辛に対して批判的な論調である文章も見られる。1946年8月の『申報』の記事は、戦争中に日本に協力した音楽家の陳鶴がミス上海選挙の役員についていたものの、群衆により会場から追い出されたことを記した上で、次のように記す。

この事件から、私は「大東亜進行曲」の作曲者である梁逆楽音[「逆」は裏切り者であることを示す]と敵のでっち上げたニセ「自警団進行曲」の作曲者である陳歌辛のことも思い出した。彼らはどこにいるのだろう。*18

恐らく彼らはこの時期、すでに上海を後にして香港へと向かっていたと思われる(陳歌辛は後に上海に戻るものの)。仮に地下工作者であったとしても、戦争中に対日協力者としての姿が目立ちすぎると、そのまま上海に居続けるのは困難だったのだろうか。

 陳歌辛の経歴や彼の手がけた抗日歌曲についても言及したかったが、それらについては、また別の形で発表することとしたい。

ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史

ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史

上海ブギウギ1945―服部良一の冒険

上海ブギウギ1945―服部良一の冒険

 

*1:服部良一『ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史』日本文芸社、1982年、212頁。

*2:山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』新潮文庫、1990年、327頁。

*3:梁茂春《黎锦光采访记录及相关说明》《天津音乐学院学报(天籁)》2013年第1期,68页。

*4:「作曲家梁楽音」(『光藝電影画報』第52期, 1952.8.1.)なお、記事の内容はこちらでも読める。

*5:前掲梁茂春、67頁。

*6:方翔《何處訴衷情》台北:漢光文化,1991,147-148頁。

*7:黃仁《日本電影在臺灣》台北:秀威資訊,2008年,274頁。

*8:慎芝,關華石手稿原著《歌壇春秋》國立台灣大學圖書館,330頁。なお、これは1958年10月16日に台湾で放送されたラジオ番組の内容である。

*9:《梁樂音昨赴日》,《香港工商日報》 1952年12月22日第6版。ただし、映画は東宝製作の《百寶朝鳳》、プロデューサーは張善琨、主演は李香蘭とされているがこのようなフィルムは実在しない。東宝と張善琨の間で計画された幻の合作映画だろうか。服部とのリサイタルについても不詳。

*10:《名音樂家梁樂音赴日》,《香港工商日報》1961年6月10日第7版。

*11:《梁日昭梁樂音應邀連袂訪日》,《香港工商日報》1967年8月24日第7版。《梁樂音梁日昭聯飛大阪考察音樂》,《華僑日報》1967年8月25日第12版。

*12:吴剑《何日君再来:流行歌曲沧桑史话1927-1949》北方文艺出版社,2010年。

*13:吴剑《怎样认识和评价陈歌辛》,《博览群书》2010年第12期,49頁。

*14:吴剑《选编老歌要对历史负责:评《上海老歌名典》(上)》,《博览群书》2008年第6期,73頁。

*15:吴剑《怎样认识和评价陈歌辛》(前掲),48-49頁。

*16:《關於電影音樂諸問題:與中聯音樂組同人的會談》,《新影壇》第4期,46-47頁。

*17:服部良一『ぼくの音楽人生』(前掲)215-216頁。

*18:西廷《關于陳鶴》,《申報》1946年8月23日第12版。

【映画】シャングリラ

『シャングリラ』2008・台湾・中国/台湾製DVD/鑑賞日 2013.03.30./星4

 台湾製DVDで鑑賞。日本では新宿K's cinemaで2010年に公開された、2008年の台湾・中国合作映画。頼声川の表演工作坊で女優・演出で活躍している丁乃箏が、自ら監督して映画化したもの。これは1970年代生まれの中国、台湾、香港の女性監督10人が、雲南を舞台に映画を撮るシリーズ“雲南影響”の第三作として撮られたようだが、その後このシリーズがどうなっているのか、はっきりしない。

 それはともかく、台湾の脚本、監督であるため、ここで描写されるのは台湾人の目線による雲南・シャングリラである。我が子を事故で失った台湾人女性が、雲南への旅を通じて自己を見つめなおす、というもの。事故の真相や、ヒロインの後を追って台湾から雲南へと渡る男の正体など、ミステリー仕立てでもある。風景も美しく、まずまずの良作と感じた。なおここで登場する少数民族はチベット族である。

 ヒロインを演じるのは『ラスト・コーション』でヒロインの仲間を演じ、昨年の大阪アジアン映画祭で上映された『父の子守歌』でもヒロインを演じた朱芷瑩。台湾人女性がタクシーの運転手に「師傅」と呼びかけたり、「普通話」という単語を使ったり、などの場面は台湾人にとっては大陸旅行気分を醸しだす働きもあるのかもしれない。

 台湾の場面で、子供と一緒に團伊玖磨作曲の「ぞうさん」(中国語題「大象」)を唱うのが個人的には気になった。台湾でもこの歌が親しまれていたとは。

昆明の書店で学術書を買うには(2013/9/20追記)

 3月9日深夜から3月16日早朝まで昆明に滞在した。今回は事情により農村調査に入れず、思いがけず昆明市内に長期滞在することになった。そのため、幾つかの書店を回る時間的余裕があった。ネット上には、昆明の学術書が買える書店についての情報がほとんどない(特に日本語では)ため、私が行くことのできた書店を幾つか紹介することにしたい。(※2013/9/20に一部補記あり)

 

[A]新知図書城(大型書店)

 

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小西門のロータリーから北上し、東風西路と昆師路が交差する西南角にあるショッピングモールの3、4階。いずれかの階の入り口にあるコインロッカーに荷物を預けてから入店するシステム。品揃えはなかなかよく、映画などのDVDも豊富。雲南大学や雲南省図書館などからも近いので、ぜひ立ち寄りたい。

 

※購入した本、DVD

谢彩《中国侦探小说类型论》

李皖《多少次散场 忘记了忧伤:六十年三地歌

傅葆石《灰色上海,1937-1945:中国文人的隐退、反抗与合作》

白薇、杨天舒主编《传媒与20世纪文学:现代传媒与中国现当代文学国际学术研讨会论文集》

丁言昭《安娥传:<渔光曲>的人生旋律》

叶凯蒂《上海・爱:名妓、知识分子和娱乐文化1850-1910》

云南省玉溪第一中学编《中华之声 聂耳》

卜保怡《昆明名人旧居》←これ、実は旧版。他店で新版を購入。

DVD《观音山》《非诚勿扰2》《肩上蝶》《不再让你孤单》《人再囧途之泰囧》《一盘没有下完的棋》(=『未完の対局』、日本ではDVD未発売)《海上沉浮:红颜》(CCTVの番組、黎莉莉、阮玲玉、李香蘭、周璇、胡蝶を取り上げる)

 

※補記 2013年8月29日の写真二枚を上に追加しました。同日購入した本は、

朱海明《风情民国老期刊》

李静《乐歌中国:近代音乐文化与社会转型》

黄万华,刘方政,马兵 等《经典解码:20世纪中国文学与电影》

闻黎明《抗日战争与中国知识分子:西南联合大学的抗战轨迹》

彭磊编著 《昆明六十年记忆》

张静蔚编《触摸历史:中国近代音乐史文集》

曾健戎 ,刘耀华《中国现代文坛笔名录(增补版)》

 

 

[B]清華書屋(大型書店)

 

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雲南師範大学正門の左隣にある書店。「清華」の名が冠せられているのは、ここが抗戦期に北京大学清華大学、南開大学が合併してできた西南聯合大学の跡地(雲南師範大学)に近いからだろうか。昨年夏にも知り合いの先生に連れてきてもらったこの店、見かけはさほど立派ではないが、結論から言うと昆明でいちばん学術書の品揃えがよい店だ。一階の入り口でカバンを預け、二~三階の店舗に上がる。学術書があるのは三階。ジャンル別にきちんと配列されている。DVDはない。

 

※購入した本

胡霁荣《中国早期电影史1896-1937》

吴新兰《存在与感知:日本动漫在中国的跨文化影响》

王勇、鲍静《玫瑰玫瑰我爱你:追寻上海老歌的前世今生》

罗卡、法兰宾《香港电影跨文化观(增订版)》

吴秀明、陈力君主编《大众文学与武侠小说》

苏伟贞《长镜头下的张爱玲:影像 书信 出版》

冉隆中主编《昆明的眼睛》

卜保怡《昆明名人旧居》←新版

高维进《中国新闻纪录电影史》

段颖《泰国北部的云南人:族群形成文化适应与历史变迁》

 

※補記 2013年8月29日の写真を上に追加しました。同日購入した本は、

曹立新《在统制与自由之间:战时重庆新闻史研究(1937—1945)》

江青江青的往事往时往思》

 

[C]昆明書城(大型書店)

 

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昆明随一の繁華街、南屛街の歩行者天国のやや東寄り、南側にある。レシートには「昆明書城」と記されているが、新華書店という大きな看板が出ている。ビル全体が書店だが、残念ながら一般向け書店で、学術書は少ない。文房具や玩具等も売っている。

 

※購入した本

赵士荟编著《老影星自述》

刘禾《帝国的话语政治:从近代中西冲突看现代世界秩序的形成》

张彤《曲终人不见:中国新音乐进程中的十位音乐家》

 

※補記 2013年8月29日の写真を上に追加しました。同日購入した本は、

钱理群《中国现代文学史论》

张昌山主编《战国策派文存(上、下)》

  

大型書店ではこの他、北京路と人民東路交差点を少し東に行ったところの北側に新華書店があるようだが、今回は行く機会がなかった。

 

[D]漫林書苑(独立書店)

 

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雲南大学近く、文化巷(俗称・洋人街)にある独立系書店。幾つかの日本語サイトでも紹介されている。おしゃれな店内に写真集、通俗小説などが並んでいる。二階では洋書が売られている。だが、学術書は少なく、ここでは本は買わなかった。

 

[E]麦田書店(独立書店)

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漫林書苑から文化巷を東に進み、突き当りを右折して南下すると麦田書店が見える。ここの店主は「奇妙的日子」楽隊(ドアーズのアルバムから名付けたのだろう)でバンド活動を行なっている馬力だ。店内には海外のロックのCDも並べられている。狭い店内だが、漫林書苑に比べると、学術書の品揃えはよいと思う。于堅の詩集『便条集』の企画出版も行ったとのこと。この店で購入した『中国独立書店漫遊指南』にも、昆明の書店として唯一取り上げられている。購入時、端数をおまけしてもらった。

 

※購入した本

雅倩《中国独立书店漫游指南》

冯永祺《南行踏歌:艾芜与云南》

 

 

[F]智源書店(独立書店)

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これは、偶然通りがかった独立書店。昼間行った人の話によるとお茶を出してもらったとのこと。特に目を引く本はなく、何も購入しなかったが、一応学術書も置いている。

 

あとは、雲南民族博物館の書店も覗いた。少数民族関係の(やや古めの)書籍、DVDなどを陳列していたが、特に買いたいものはなかった。

 

(以上、一週間の滞在で除くことのできた書店について記しました。長期滞在の方がご覧になると、あれこれ抜けていると思われるかもしれません。ご指摘頂ければ幸いです。)

 

[G]滇池書城(大型書店)※2013/9/20追記

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8月の昆明で泊まったホテルに近いので覗いてみた。新華書店系大型書店。清潔な店内であるが、エスカレーターは止まっていた。ここでは特に本を買わずじまい。とは言え、他店で購入した本も見かけたので、こちらに先に来ていればここで購入したことだろう。

【映画】人間万事塞翁が犬

人間万事塞翁が犬』2012・台湾・日本/シネマート六本木/鑑賞日 2013.03.27./星3

 東京出張中にシネマート六本木で鑑賞。侯孝賢映画の字幕、『珈琲時光』のプロデュースなど、中国語圏映画の日本での窓口的存在である小坂史子氏(『珈琲時光』のヒロイン陽子は彼女がモデルだとも言われる)が監製の一人に名を連ねる、日台合作映画。とは言ってもキャストはほとんど全て台湾人で、撮影や音楽などに日本人スタッフが関わっている。

 監督はこれまで蔡明亮の『ヴィザージュ』などの美術を担当していた李天爵で、これが監督デビュー作。だが、残念ながら映画の内容はやや期待はずれだった。リアルな台湾の若者を描くのか、中国古典に取材した寓話の世界を描くのか、どうにも中途半端。また、テンポが悪く、なかなか物語に入り込むことが出来なかった。飼い始めて49日目に飼い主が不幸になるという犬をめぐる物語。だが、この犬と主人公はなかなか出会わないし、また主人公とヒロインもなかなか出会わないのだが、前半のエピソードはここまで細かく描く必要があったのか疑問だ。

 ただ、俳優たちの演技は悪くない。王柏傑は『阿嬤的夢中情人』のキザな二枚目俳優役とは打って変わって、何事もうまくいかない情けない男を演じる。ミュージシャンでもあり大学や教会でも活躍する朱約信は、怪しげな司祭役。『セデック・バレ』で花岡二郎を演じた蘇達も、一人で何役も演じて存在感を示している。朱約信の他、やはりミュージシャンで濁水溪公社のリーダー、柯仁堅の社長役も印象的。あとレストランの店員役の俳優も印象に残る演技だった。

 そういえば監製の小坂文子さんも、伝統の味を受け継ぐレストランの日本人オーナーとして登場しているのだが、なぜかクレジットは「金太郎」となっていた。 
《命運狗不理》Legend of the T-Dog 正式版預告~12月7日狗來運轉- YouTube

【映画】大尾鱸鰻

『大尾鱸鰻』2013・台湾/台北・今日秀泰影城/鑑賞日 2013.03.21./星4

 台北・西門町、今日秀泰影城で鑑賞。監督の邱瓈寬はこれが初監督作品だが、台湾の芸能界~映画界で長年裏方として活躍してきた女性で、フェイ・ウォンの楽曲の作詞も手がけたことがある。彼女自身脚本を書いたものの、監督が見つからず、自分で監督することになったものという(北村豊晴監督にも依頼したものの、ライバル旧正月映画との関係で断られた、とのこと)。

 一言で言うと、ドタバタコメディ。主に台語を操る芸能人、豬哥亮が一人二役の主役。彼がいないとこの映画は成立しなかっただろうとおもわれるほどのはまり役、おそらく彼を意識して書いた脚本だろう。監督自身、台湾芸能界では毒舌で知られるようだが、ここでの豬哥亮も台語の罵り言葉を連発。またシモネタも満載。馬鹿馬鹿しいが、面白い。

 題名は、ヤクザの親分になった豬哥亮が、ヤクザの世界も国際化しなければならないと考えて、David Lomanなる名前を名乗ったことに由来する(その音に漢字を当てたもの)。だが中身は相当に台湾土着の世界である。台湾では南部を中心に大ヒット中だが、台湾内部しか相手にしないような映画でよいのか、という論争も巻き起こしている。

 若いカップルとして、郭采潔と楊祐寧が出演。二人はこれに先立つテレビドラマでも共演して、現実においても熱愛が伝えられている。郭采潔は、『台北の朝、僕は恋をする』(一頁台北)や『LOVE』(愛)などヒット先にたてつづけに出演しているが、この映画では珍しく男勝りのツンデレタイプ。

 この映画、惜しむらくは、台語が理解できたならもっと楽しめたのに、というところだ(字幕のスピードについていけない瞬間も)。

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【映画】阿嬤的夢中情人

『阿嬤的夢中情人』2013・台湾/台北・絶色影城/鑑賞日 2013.03.21./星4.5

 台北・西門町で鑑賞。『一万年愛してる』の北村豊晴と、蕭力修の共同監督作品。「台湾のハリウッド」北投で撮影されていた、60年代台語映画の栄光と没落にオマージュを捧げた映画。実に素晴らしい。今は年老いたかつての脚本家と、痴呆症を患うその妻が、かつて台語映画界でいかに活躍したのか。当時の台語映画界の粗製濫造ぶりがややデフォルメされながらドタバタ喜劇仕立てで描写される。もちろん、すぐれた映画もあったことが映画中では示されるのではあるが。

 映画中では、台語片といっても、台語がうまく話せない外省人俳優がいたことも描かれる。また実際に日本人も台語片に監督して関わった事実があるのだが、この映画中では、映画のスタッフとして日本人が登場する(北村監督自身が演じる)。その他、ディテールも含め、うまく作られている。台語スパイ映画にもオマージュが捧げられ、スパイ同士の暗号が、愛の誓いの台詞へと換骨奪胎される。そして、その台詞は現代の場面でもうまく使われる。

 洪一峰による台語歌謡の傑作「思慕的人」「寶島曼波」、台語映画『大俠梅花鹿』『小姑娘入城』、そして『第七號女間諜』などがこの映画の直接の参照元。『大俠梅花鹿』は台湾ではDVDも発売されているので、鑑賞前に見ておくといいだろう。洪一峰についても、近年トリビュートアルバムやドキュメンタリー映画『阿爸』(ciatrでレビュー済み)も作られている。

 難を言うと、北村監督が時折過度に日本風と思われるギャグセンスを発揮するところ。台湾映画へのトリビュートなのだから、日本のお笑い風味はもっと抑えたほうがいいのではないか、と思った(か管見の限り台湾のブログなどではそのような反応は見当たらない)。

 国語普及政策を推進する政府の圧力により、生命力が失われていった台語映画。だが、政治の後ろ盾がない中で、売れる映画を作るために様々な創意工夫もあったことも事実であろう。時を経てこのように大々的に再評価され、その魅力の片鱗が一般にも認識されるようになったのは素晴らしいと思う。

             

【映画】二重露光~Double Xposure~

『二重露光~Double Xposure~』2012・中国/梅田ブルク7(大阪アジアン映画祭)/鑑賞日 2013.03.17./星4

 2013年の第8回大阪アジアン映画祭で、クロージング作品として上映された。同映画祭で特集企画のあった中国の女流監督、李玉の最新作。会場には監督自身は現れなかったが、上映前には監督によるビデオ・メッセージが流された。

 さて、中国でも大ヒットしたこの映画、エンターテイメントとして楽しめるサイコ・サスペンスとなっている。整形外科で働く范冰冰、凛々しい姿だが、物語は意外な方向へ展開していく…。途中までは、どうなるものかとハラハラドキドキの連続だが、終わってみたら李玉監督作の中でも分かりやすい映画となっている。前作や前々作と異なり、范冰冰以外には若手スターは出ていない(陳冲ジョアン・チェンはいるが)ため、彼女の演技が十分に堪能できる。いろいろな意味で、彼女の一人舞台だ。そんな中でも、瑞々しい映像が映画の端々で見られる。秦皇島や新疆のロケも印象深い。

 見終わった後、もう一度見てみたくなる映画である。実際、映像はYoutubeでも見ることができるが、見る前と後では、冒頭のシーンが全く違うように見え、はじめから伏線が張られていたことに気付かされるのだ。

    

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