備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

和歌山に胡美芳の故居を探す

 日本における中国系歌手の系譜を考えているのだが、その代表的人物として避けて通れないのが和歌山生まれの胡美芳である。彼女の経歴や活動の詳細については、また活字にする時に記したいが、ここでは、彼女が和歌山のどこに住んでいたかについてのみ触れる。

 彼女がどこに住んでいたのかについては、実は自伝『海路遥かに』に詳しく記されている。和歌山市吹屋町の理髪店であること、家の前には広い道路があり、すぐ裏が和歌川だったこと以外に、以下のような記述がある。

隣の安田モータース(運送店)の敬子ちゃん、その隣の川崎(靴屋)の栞(しおり)ちゃんと弟の儀一ちゃん、裏の家に住んでいた小南(こみなみ)の千代ちゃん・稔ちゃん姉弟、斜め向かいの粉屋の子で、一つ年上の前田の政ちゃん、その弟で私と同い年の禎ちゃん、磯野(溶接屋)の茂ちゃんらがいつも一緒だった。 

 そして、『海路遥かに』には、同書が出版される前年の1984年、45年ぶりに中国から日本に帰ってきた弟と、この故居を再訪する描写がある。

不意に、弟の足が止まった。

「姉さん!」

弟が悲鳴に似た声をあげた。

「あった!ぼくたちの、家が……」

声をつまらせて、弟が指さす方向を見ると、なんと、隣の敬子ちゃん家と私たちの生まれ育った家だけが、昔のまま残っていた。屋根は波打ち、家は傾いて今にも倒壊しそうであったが、まぎれもなく 、それは私たちの生家だった。人が住まなくなってもう長いのだろう、入口と二階の窓に掛けたカーテンはすっかり色あせ、「理容」と書かれた入口のガラス戸も大きくヒビ割れている。舗装工事で盛り土されたためか、表の路上から見ると、家屋全体が地面に沈んだように見える。それがいっそう歳月の重みを感じさせ、私は胸がつまった。

 

海路遥かに

海路遥かに

 

  戦中に手放した理容店の建物が1984年にも存在していた、というのは凄いが、だとするともしかして現在も存在しているのだろうか?

 それを確認するためには、まずは場所を特定しなければならない。

 以下の画像は、1977年に刊行されたゼンリンの住宅地図からの抜粋である。

f:id:changpian:20170815213544j:plain

これを見ると、「吹屋町一丁目」と記された大通りの左側に、「磯野溶接」、そして「川崎」という家があるのが確認できる。胡美芳は「隣の安田モータース(運送店)の敬子ちゃん、その隣の川崎(靴屋)」と記しているので、川崎邸の二件先、すなわち「ガレージ」(ここが安田モータース跡地だろうか)と「磯野溶接」に挟まれた「宝山理容」こそが、胡美芳が育った家ではないだろうか(跡地を同業の理髪店が引き継いだことで、1984年まで昔の姿を留めていたのかもしれない)。この地図では「宝山理容」は和歌川に接していないが、胡美芳の家の裏には離れがあったとのことなので、この地図の「楠」とあるところが、その離れに相当するのかもしれない。
 この推測を元に、実際に歩いてみた。

f:id:changpian:20170815141205j:plain

 この写真は、道路の西側の「宝山理容」(すなわちかつては胡美芳の実家「周理髪店」があったと思われる場所)のあたりから南東を向いて撮った写真である。かつての地図では、南方酒店(現在は南方福一商店)、井筒屋(いづつや)の南に2軒家屋があるのだが、それは交差点の整備ないし道路の拡張・付替えで立ち退かされたのかもしれない。

 残念ながら、その周理髪店跡は、現在ではタクシー会社の駐車場となっている。南の海草橋の上から、その駐車場を撮ってみた。

f:id:changpian:20170815142148j:plain

 『海路遥かに』によると、川と離れ家の間には低い塀があった、とのことだが、今では川岸もコンクリートで固められ、駐車場と川岸との間にあるのは塀ではなく金網だ。この駐車場のやや奥側が「周理髪店」ということになる。『海路遥かに』は、上流の南材木町の木場の丸太がこのあたりまで浮かんでいて、よくそれに乗って遊んだとのことである。

f:id:changpian:20170815142240j:plain

 対岸の川岸には降りられるようになっており、その対岸から撮った駐車場の写真。
 ところで、先の1977年の地図を見ると気づくのだが、(周理髪店跡地の)「宝山理容」の向かいにも、「宝山理容室」がある。おそらく、「宝山理容」は古い周理髪店の建物を嫌って、こちらに新店舗を構えたのではないだろうか(この場所は、他の古地図によると胡美芳の幼馴染の前田家が住んでいた場所と思われるが、詳細は省略)。そして、(上の写真にも映っているが)その道路の東側の「宝山理容室」は、なんと現在も美容院なのである。

 

f:id:changpian:20170815141201j:plain

 現在はグレイスという店名だが、ネットを検索すると少し前までは「美容室てんとう虫」であったようだ。いずれにせよ、道路の反対側とはいえ、胡美芳の父、周(胡)玉山が開いた理髪店という土地の記憶が長い年月を経ても受け継がれているようで、興味深い。
 残念ながらお盆のど真ん中に訪れたため、近所の店は全てしまっていて、話を聞くことはできなかった。というわけで、今回は小ネタ程度の投稿だが、ご勘弁を。

 

スター☆デラックス 胡美芳

スター☆デラックス 胡美芳