備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

ニューリズムの悦楽とアジア

  • 輪島裕介さんの快著『踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽』が出た。明治期から戦後にかけてのニューリズムを俎上に載せて大胆に分析していくスタイルは健在で、面白く読んだ。

 ただ、日本国内のドドンパとアジアのオフ・ビート・チャチャのように、非常に似たリズムも存在する。してみると、私の興味からは、日本とアジアの共通性(と相違性)をもう少し押さえておきたいとも思った次第である。ということで、揚げ足取りを幾つか…。

  1. 巴里ムーラン・ルージュ楽員
     輪島さんは(ディック・ミネの)「この楽団は「巴里ムーラン・ルージュ楽員」名義で「酒は涙か溜息か」などの古賀政男楽曲を数曲録音しており」としているが、この巴里ムーラン・ルージュ楽員はディック・ミネとは無関係で、パリはムーラン・ルージュ出身と称するフランス人楽団であった。ダンスホール「フロリダ」で修行した彼らは、古賀政男作品をレコードに吹き込んでいる。輪島さんは「古賀メロディーはジャズのモダンさとは異なるが、タンゴの叙情性には確かに通じるものがある」としている。だが、巴里ムーラン・ルージュ楽員が古賀政男作品を多く取り上げていることは、タンゴの叙情性に注目したからという以外に、日本風の楽曲をエキゾチシズムとして消費していたとも捉えることができるのではないだろうか。
     というのも、1937年頃には巴里ムーラン・ルージュ楽員の一員であったアコーディオンのモーリス・デュフォールは東京から上海へと向かっていたからだ。さらには、周璇が歌うハバネラ風味の曲「何日君再来」のレコードで伴奏を務め、さらに歌手の伴奏や器楽曲を20枚以上吹き込んでいるのである(クレジットは杜甫Du Fu)。日本でも淡谷のり子や中野忠晴の伴奏が聞けるが、単身上海に乗り込んで作ったレコードが周璇の「何日君再来」だったというのは興味深い。周璇「何日君再来」を日本に紹介したのは松平晃だったと言われるが、松平はもしかするとモーリス・デュフォールの伴奏を聞いて直感的に彼の伴奏だと感じ取ったのではあるまいか。
     モーリス・デュフォールのその後については、何もわかっていない。中国が戦争へと巻き込まれていく中、失意のうちに帰国したのかもしれない。
  2. 戦後の香港について
    輪島さんの本ではニューリズムの盛衰についてかなりの紙幅が割かれていて、どういうムーブメントが起きていたのかが見て取れるようになっている。日本のレコード会社が仕掛け役となって様々なリズムを売りだそうとしたわけだが、日本と比較すると香港のレコード会社の場合は自然発生的だった気がする。それにしても、マンボ・ブームを先取りした映画『マンボ・ガール(曼波女郎)』は、示唆的なフィルムである。私はチャチャが好き、と歌う「我愛恰恰」などの代表曲は充実していている。だが、サウンドに耳を傾ければ、フィリピン人ミュージシャンの編曲のセンスに心を奪われてしまう。実はこの映画には、フィリピン人ミュージシャンがクレジットされている―戴菲諾Ollie Delfinoである。彼はバンド・リーダー兼ドラマーで、この年、上海~香港で活躍した歌手の張露(1932-2009)と結婚している。映画中では、彼のドラムがフィーチャーされ、マーゴ(馬高)というダンサーと共に「サマータイム」を演奏する。(この映画には張露は出演していないが、西洋の曲を取り入れる際には、Ollie Delfinoの果たした役割は大きかったと思われる。)
  •   『マンボ・ガール(曼波女郎)』は葛蘭Grace Changの主演作で、彼女の名声を不動のものにした作品だが、『マンボ・ガール』以降の楽曲を見ても、「我愛卡力蘇」(私はカリプソが好き)が 続き、「ジャジャンボ」のリズムを使った服部良一作の「說不出的快活」へと繋がっていく。ニューリズムを意識的に取り入れた時期がしばらく続くのである。
  •   ところで、輪島さんも書いているように、香港ダイヤモンド・レーベルはOff Beat Cha Chaを江玲Kong Lingの歌で吹き込んでいる。コロムビアでもOff Beat Cha Chaのレコードは出ているが基本的にインストゥルメンタルであり、ダイモンド・レーベルがボーカル曲としてOff Beat Cha Chaを取り上げたことは意義深かっただろう。
  •   ドドンパと名付けられたのは日本でのことと思われるが、『ビルボード』誌には、DondonpaないしDodompaと(off beat Cha chaとともに)記載されていて、どのような地域でどのように呼び方が分化していったのかについても今後の課題としたい。

  

と、ないものねだりのコメントに終始してしまったが、面白く読んだのも事実である。今後は、日本国内のことだけに注目するのではなく、アジアにおけるリズムものの掘り起こしが重要になってくるような気がしている。

 

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)

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