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主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

雲南の戛洒で花街節を見る

雲南省新平県にはすでに数回調査に訪れている。今回は、201436日に新平の県城に入って見学し、37日に戛洒鎮に移動、78日の二日間を使って戛洒鎮周辺を調査した。

 今回が特殊だったのは、当地のタイ族(花腰)にとって年に一度の祭である花街節(赶花街とも)にちょうど出会ったことだ。我々が戛洒鎮に宿泊した7日から9日までがちょうど花街節にあたるとのことで、伝統的な歌垣や男女の愛のささやきが見られるかもしれない、と期待に胸が高鳴った。7日昼からすでに川沿いに屋台が立ち並んでいた。

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道路上の屋台はタイ族のきらびやかな衣装などが並び、川沿いの広場には射撃により景品を撃ち落とすゲーム、ラクダ、奇形人ショウ、お化け屋敷など奇をてらったものが立ち並ぶが、刺青のコーナーは、もしかするとタイ族の文身の伝統とどこかでつながっているのかもしれない。

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 夜八時からは、いよいよステージで歌舞ショウが始まった。我々は前方の位置を確保できたが、あっという間に人だかりができた。

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 ショウの内容は、伝統的と呼ぶには程遠く、「花街はあなたを歓迎します」という歌や、民族衣装に身をまとったタイ族の男女(女性中心)の踊り。途中機材トラブルで中断があったが、それを含めても小一時間ほどでショウは終了した。

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 翌日はガサ鎮から南へ一キロ行ったところにある大檳榔園を見学。

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といってもここ自体は大して見どころがなく、周りの二つのタイ族(観光村化している)と合わせた観光地として捉えたほうが良いだろう。大檳榔園の中にある幾つかの神樹は、彼らの村のものであった。

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爆竹の音に引き寄せられて辿り着いたのが、その二つの村の一つ、曼李(曼理)村だった。

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彼らによると、前日が花街節であり、この日は龍を祀る日とのこと。豚を解体して龍の木に祀る準備が進められていた。

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その祭祀までには時間がかかるということで、我々は村を後にして、ガサの宿場町としての伝統料理、黃牛湯鍋を食べに、一旦退去。

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2時に大檳榔園の龍の木を再訪したところ、すでに祭祀の儀礼は終わった後だった。例年はこの儀式は女性は参加できないとのことで、村中の男性が参加するとのことだったが、今年は偶然にも国際婦人デー(38)と重なったとのことで、年配の男性と、少し離れたところでその奥様連中が集っていた。我々一行(女性を含む)も参加を許され、いろいろ話を伺うことができた。

・昨日は村の連中も全員戛洒の祭りに行っていた。大檳榔園あたりでは花街節は行われていないが、近いうちに整備されて行われる見込み。

・神の木は、大豚、子豚、牛を捧げる木にそれぞれ分かれている。

文革中は龍の祭祀も、花街節も中断しており、80年頃復活した。

・祭祀を司るのは世襲ではなく、投票で決める。その家は準備が大変なので、余った食べ物はその家にあげることになっている。

 

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 さて、6時からは大檳榔園のステージで、ショウが始まった。ここは食事を取りながらショウを楽しむことができる。が、なんと出演者は昨晩の花街節の出演者とほぼ同じメンバーだった。内容も、観光客向けの近代化されたもの。

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 夜8時からは、彼らは戛洒に移動して、この日もステージを繰り広げていた。その近くではタイ族の踊りも見ることができた。だが、男女が縁を結ぶ伝統的花街は見られずじまい。

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 それでは、当地の男女は現在ではどのように相手を探しているのだろうか。もしかするとこのチラシがヒントになるかもしれない。

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花街節は観光客向けに姿を変え、彼らの縁結びも近代化したイベントに姿を変えた、ということだろうか。