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主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

台湾の抗戦~スパイ小説作家・鄒郎と映画

少し前にツイッターで書いたことだが、当初事実誤認があったり、また細かいツイートに分かれてしまって、全体像が見えにくくなってしまったこともあり、もう一度ブログに書くことにする。

鄒郎(1923-?)という作家がいる。これまで意識したことのない作家だったが、『揚子江風雲』『長江一号』などのスパイ映画の原作者であることを知り、興味を覚えた次第。

手元に台湾の人名辞典などが不足しているので、ネット上の情報を頼りに彼の略歴を記すと、湖北省・監利の出身、陸軍軍官學校成都分校第十九期生。その後香港を経て(趙珩『舊時風物』による)、1952年台湾に移る。軍職を経て作家に転身、80年代以降は文史研究に従事。その小説は戦争を背景としたスパイものが多く、テレビドラマ、ラジオドラマ、映画などになったものも少なくない。

というのがだいたいの紹介だろうか。反共小説と大衆小説のそれぞれの文脈に置くことができる作家のようだ。(彼の名前を検索すると、武侠小説の大家、古龍とも深い付き合いがあったことも見えてくる。)

この鄒郎の映画との関わりを追うと、彼が多面的な才能を持っていたことが見えてくる。以下では、時代順にそれをまとめてみたい。

まず、『跨世紀台灣電影實錄』の1964.10.14.の項に、國聯公司鄒郎と契約し『死橋』と『詭路』の映画化権を得る、とある。國聯とは、李翰祥監督が、香港のショウ・ブラザーズ(邵氏)を離脱して台湾に1963年に作った会社で、1970年まで存続した。実は國聯が鄒郎と契約したのは、映画界とも関わりの深い恋愛小説作家である瓊瑤と國聯が契約した6日後のことである。

だが、記録上最初に國聯が撮った鄒郎原作の映画は、『地下司令』(1967)である。台湾電影資料庫の記述では、洪波が監督とされ、三人の脚本家の一人として、鄒郎もクレジットされている。だが、香港電影資料館のデータベースでは題名も『十萬青年十萬軍』となっていて、監督(導演)として李翰祥が、執行導演として洪波がクレジットされている。脚本(編劇)は鄒郎一人のみとなっている。実はこの映画が未完成のうちに洪波は自殺していたようであり(このページの侯柱國の項)、李翰祥がその後を引き継いだのかもしれない。なお、せんきちさんの『十萬青年十萬軍』のVCDによる鑑賞記はこちら

さて、その次に撮られた鄒郎原作の映画が『揚子江風雲』(1969、中国電影製片廠)である。台湾電影資料庫のデータはこちら。これの原作が先の『死橋』である。李翰祥がメガホンを取り(この頃は経営の傾いた國聯ではもはや撮れなかったようだ)、李麗華、 楊群、張美瑤、柯俊雄が共演したこの映画はかなり評判になったようだ。李麗華が演じた卓寡婦役は印象的だったという感想もある。香港題は『一寸山河一寸血』のようであり(なぜか香港電影資料館のデータベースでは同名の別の映画しかヒットしない)、先の『十萬青年十萬軍』と『一寸山河一寸血』を繋げると、蔣介石が抗日戦争期に発したスローガンとなる。

この  『揚子江風雲』 の続編が『長江一號』(1969、國際僑聯育樂有限公司)(※香港電影資料館データベースでは1970年)である。監督は梁哲夫と 康白 (何偉康)。会社や監督が変わっても、李麗華、 楊群が共演している。この『長江一號』では、『揚子江風雲』とは異なり鄒郎自身が脚本を手がけている。

さらに同時期、もう一本鄒郎原作のスパイ映画が撮られている。『重慶一號』(1970、台聯有限公司)がそれで、やはり梁哲夫が監督。香港映画界で活躍した關山と張小燕が出演している。実はこれはDVDが出ている(→こちら)。予想はつくものの、どんでん返しがあったりしてそれなりに楽しめるスパイ映画だ(西村という悪い日本人が登場するw)。ストーリーは恐らく『揚子江風雲』『長江一號』とのつながりはない。

しばらく間が開いて1974年には、鄒郎はなんと自ら原作・脚本・監督・出品を手がけた映画『鬼使神差』を世に問う。出品会社名は鄒氏兄弟公司。鄒郎が兄弟と共に作った会社だろうか。台湾電影資料庫では1974年とあるが、香港電影資料館DBでは台湾でも1975年1月上映とあり、上映は翌年にずれ込んだのだろう。これもかつてはDVDが出ていたようではあるが、今では入手困難、残念。香港電影資料館の紹介を見るかぎり、これまでのスパイものとは異なり、盗賊もののようだ。

翌1975年、久々に鄒郎原作のスパイ映画が撮られる。『諜海英豪』(1975、高峰電影)がそれで、これは『揚子江風雲』 ・『長江一號』のさらなる続編のようだ。すでに引退状態であったはずの李麗華が、やはり卓寡婦の役で楊群らと共演している。これまでのものは台湾映画だったが今回は香港映画。なお、香港電影資料館のデータを見ていると、奇妙なことに気づく。この映画は別名「長江二號」とされており、鄒郎は原作のみで、監督の王振が脚本を兼務している。一方、電影資料館には長江2號』と題する脚本も残されていて、そちらは鄒郎自身の脚本・監督となっているのだ。ただ、会社名やスタッフ名は『諜海英豪』とは全く異なる。脚本の会社名は、『長江一號』とほぼ同じ國際僑聯公司。もしかすると早い段階で『長江一號』の続編として企画されていたものが未完成に終わり、香港の会社がその後を引き継いだのかもしれない。

諜海英豪』と同じ1975年、台湾・中影でも似た題の『戰地英豪』が撮られていて、やはり抗日スパイもの。これも鄒郎原作。かつてDVDやVCDが出ているようだが、やはり今は入手困難。上官靈鳳・秦祥林・嘉凌らが共演。見てみたい気がする。

鄒郎と映画との関わりは、以上でほぼ全てだが、台湾の國家電影資料館には、さらに鄒郎の書いた映画台本、『秦始皇與五百童男女』がある(→こちら)。始皇帝のお話のようで、他の映画とはだいぶ雰囲気が異なる気がする。

鄒郎、小説は全然読んだことがないが、また読んでみたい。なお、『長江一號』は近年大陸でテレビドラマになっている。国民党のスパイを描いた小説・映画が大陸でドラマになるとは(設定を変えてあるのかもしれないが)感慨深い。

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 ※これは、『長江一號』のサントラ盤シングル。恐らく李麗華の最後の録音ではないだろうか。彼女は1940年代からずっと上海百代~(短期間の香港・大長城を経て)香港百代のレコーディング・アーティストだったわけだが、これは香港LIFEレコード(麗風唱片)から。LIFEは、香港の歌手には「麗風」レーベルを、台湾の歌手には「樂風」レーベルを使っていたのだが、台湾映画のサントラ盤であるためか、香港で長く活躍した李麗華のレコードであるにもかかわらず「樂風」レーベルが使われている。

 

(※追記)ツイッター経由で、李麗華がその後、1994年にレコーディングをしていると教えて頂きました。TakeYoshidaさんありがとうございます。CDジャケットはここで見ることができます→(おもてうら)確かに、1994全新録音、とありますね。ただ、『長江一號』は、それ以前では一番新しい録音になる可能性が高いと思います。