備考欄のようなもの

主に、中国語圏の文学・音楽・映画等について記します。

ニューリズムの悦楽とアジア

  • 輪島裕介さんの快著『踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽』が出た。明治期から戦後にかけてのニューリズムを俎上に載せて大胆に分析していくスタイルは健在で、面白く読んだ。

 ただ、日本国内のドドンパとアジアのオフ・ビート・チャチャのように、非常に似たリズムも存在する。してみると、私の興味からは、日本とアジアの共通性(と相違性)をもう少し押さえておきたいとも思った次第である。ということで、揚げ足取りを幾つか…。

  1. 巴里ムーラン・ルージュ楽員
     輪島さんは(ディック・ミネの)「この楽団は「巴里ムーラン・ルージュ楽員」名義で「酒は涙か溜息か」などの古賀政男楽曲を数曲録音しており」としているが、この巴里ムーラン・ルージュ楽員はディック・ミネとは無関係で、パリはムーラン・ルージュ出身と称するフランス人楽団であった。ダンスホール「フロリダ」で修行した彼らは、古賀政男作品をレコードに吹き込んでいる。輪島さんは「古賀メロディーはジャズのモダンさとは異なるが、タンゴの叙情性には確かに通じるものがある」としている。だが、巴里ムーラン・ルージュ楽員が古賀政男作品を多く取り上げていることは、タンゴの叙情性に注目したからという以外に、日本風の楽曲をエキゾチシズムとして消費していたとも捉えることができるのではないだろうか。
     というのも、1937年頃には巴里ムーラン・ルージュ楽員の一員であったアコーディオンのモーリス・デュフォールは東京から上海へと向かっていたからだ。さらには、周璇が歌うハバネラ風味の曲「何日君再来」のレコードで伴奏を務め、さらに歌手の伴奏や器楽曲を20枚以上吹き込んでいるのである(クレジットは杜甫Du Fu)。日本でも淡谷のり子や中野忠晴の伴奏が聞けるが、単身上海に乗り込んで作ったレコードが周璇の「何日君再来」だったというのは興味深い。周璇「何日君再来」を日本に紹介したのは松平晃だったと言われるが、松平はもしかするとモーリス・デュフォールの伴奏を聞いて直感的に彼の伴奏だと感じ取ったのではあるまいか。
     モーリス・デュフォールのその後については、何もわかっていない。中国が戦争へと巻き込まれていく中、失意のうちに帰国したのかもしれない。
  2. 戦後の香港について
    輪島さんの本ではニューリズムの盛衰についてかなりの紙幅が割かれていて、どういうムーブメントが起きていたのかが見て取れるようになっている。日本のレコード会社が仕掛け役となって様々なリズムを売りだそうとしたわけだが、日本と比較すると香港のレコード会社の場合は自然発生的だった気がする。それにしても、マンボ・ブームを先取りした映画『マンボ・ガール(曼波女郎)』は、示唆的なフィルムである。私はチャチャが好き、と歌う「我愛恰恰」などの代表曲は充実していている。だが、サウンドに耳を傾ければ、フィリピン人ミュージシャンの編曲のセンスに心を奪われてしまう。実はこの映画には、フィリピン人ミュージシャンがクレジットされている―戴菲諾Ollie Delfinoである。彼はバンド・リーダー兼ドラマーで、この年、上海~香港で活躍した歌手の張露(1932-2009)と結婚している。映画中では、彼のドラムがフィーチャーされ、マーゴ(馬高)というダンサーと共に「サマータイム」を演奏する。(この映画には張露は出演していないが、西洋の曲を取り入れる際には、Ollie Delfinoの果たした役割は大きかったと思われる。)
  •   『マンボ・ガール(曼波女郎)』は葛蘭Grace Changの主演作で、彼女の名声を不動のものにした作品だが、『マンボ・ガール』以降の楽曲を見ても、「我愛卡力蘇」(私はカリプソが好き)が 続き、「ジャジャンボ」のリズムを使った服部良一作の「說不出的快活」へと繋がっていく。ニューリズムを意識的に取り入れた時期がしばらく続くのである。
  •   ところで、輪島さんも書いているように、香港ダイヤモンド・レーベルはOff Beat Cha Chaを江玲Kong Lingの歌で吹き込んでいる。コロムビアでもOff Beat Cha Chaのレコードは出ているが基本的にインストゥルメンタルであり、ダイモンド・レーベルがボーカル曲としてOff Beat Cha Chaを取り上げたことは意義深かっただろう。
  •   ドドンパと名付けられたのは日本でのことと思われるが、『ビルボード』誌には、DondonpaないしDodompaと(off beat Cha chaとともに)記載されていて、どのような地域でどのように呼び方が分化していったのかについても今後の課題としたい。

  

と、ないものねだりのコメントに終始してしまったが、面白く読んだのも事実である。今後は、日本国内のことだけに注目するのではなく、アジアにおけるリズムものの掘り起こしが重要になってくるような気がしている。

 

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)

 

 

 

 

 

 

 

服部良一香港ディスコグラフィ補遺

昨年、レコードメーカー合同企画「服部良一 ぼくの音楽人生<完結編>」の特典・公式ガイドブックが作成された際、ディスコグラフィのうち、香港部分の制作で協力させて頂いた。校正する機会をいただけず、わかりづらい部分もあるので、このブログでも、補足を記した次第だ(こちらのエントリー)。小さな発見ではあるが、その後判明したことを三点ほど記しておく。

・日本での原曲があるものについては、ディスコグラフィにも掲載していただくつもりだったのだが、原曲名はすべて欠落していた。そこで先のエントリーで補った次第だが、もう一曲の原曲が新たに判明した。靜婷「長帶三分笑の原曲は渡辺はま子チャイナムーン」だ。

・公式ディスコグラフィでは服部の香港での提供曲は1968年までとなっている。事実、彼が音楽を担当した香港映画は1968年の《花月良宵》が最後である。また服部自身も香港映画の内容も変化し、弟子~友人であった姚敏も亡くなったので、香港に行くこともなくなった、と自伝に記している。だが、EMI系列のレコードを調査すると、服部は70年代前半にも2曲の楽曲をEMIに提供していることが分かる。

一曲目はこのアルバム。

f:id:changpian:20140715214422j:plain

甄秀儀《為你流盡千點淚》(百代S-CPAX-360,1971)

服部の曲はB面6曲目(ラスト)に入っている《心有靈犀一點通》で、易文詞、服部良一曲、とクレジットされている。スローでマイナーな一曲だが、日本の原曲があるかはすぐには思いつかない。作詞の易文は服部が音楽を担当した映画《教我如何不想她》(1963)のすべての楽曲で作詞を担当していた(監督、脚本も)ので、その時に使われなかった曲を流用したのかもしれない。

もう一曲は、以下のLP。

f:id:changpian:20140715214440j:plain

 邵氏電影插曲原聲帶《愛心千萬萬》(麗歌S-LRHX-1023,1975)

服部の曲はB面一曲目。廖小璇の唱う《星座》、作詞は狄薏(陳蝶衣)。陳蝶衣はかつて香港での服部楽曲の作詞を担当した際にも狄薏の筆名を使っていたが、このLPで他にも狄薏の筆名で歌詞を担当しているので、これがストックを利用したものなのか、新たに作られた曲なのかははっきりしない。曲調は打って変わってアップテンポの楽しげな曲だが、こちらも日本の原曲があるかどうかは分からない。

以上、服部の楽曲(カバーではなく新曲)が70年代の香港でも吹き込まれていたという報告でした。

※(7/16付記)インターネットを検索していて、もう一曲、ディスコグラフィから漏れていた曲を発見した。蓓蕾《奇妙的一天》、作詞は周之源(=易文)(データはこちら)。90年代に出たCDシリーズ百代中国时代曲名典の蓓蕾『我一見你就笑』に収められているがが、手元にはなく、原盤番号等も不明。蓓蕾は、もう一曲の服部作品《花兒頭上插》(原曲:「支那むすめ」)を1960年頃に歌っているので、この曲も同時期の録音であると推測できる。音は土豆網にもあるが中国国内限定SPOTIFYにもあるが日本からは利用できない

 

 

 

銀座カンカン娘~僕の音楽人生<完結編>

銀座カンカン娘~僕の音楽人生<完結編>

 

 

 

 

 

 

【短評】陳怡禎『台湾ジャニーズファン研究』(青弓社ライブラリー、2014)

 ずっと読みたかった本だったが、ようやく読了した。本書は東京大学大学院学際情報学府に提出された修士論文が元になっているという。「東アジアのポピュラーカルチャー」がテーマの私の学部ゼミでも、必読文献として推薦したい。

 本書の構成を簡単に記しておくと、序章「「哈日」する台湾女性」、第1章「台湾のファン文化」では、台湾における日本の流行文化・アイドルの受容史がまとめられる。最も多く紙幅が割かれる第2章「ジャニーズファンの日常」以降で、著者がインタビューや参与観察を通じて知り得た台湾のジャニーズファンの日常生活が明らかにされる。第3章「ファンたちが求めるジャニーズアイドルの関係性構図」では、台湾のジャニーズファンがジャニーズのメンバー同士の友達関係に興味を持ち、「J禁」と呼ばれるボーイズラブにも似たカップリング創作を行うことが論じられる。第4章「ファン同士の関係性――女性たちの友情の求め方」では、女性ファン同士の関係性を分析し、それがハーバーマスの言う「公共圏/親密圏」の二分法を超えた、「広い/狭い」の両方の性格を持った親密圏を構築していることを論じる。第5章「男性アイドルの「友情」を媒介につながる女性たち」は本書の内容のまとめだ。

 社会調査やファン研究のよき見本として、学生たちには薦めたい。その一方で、台湾というフィールドの特性を踏まえた研究になっていたか、といえば少し疑問が残る。序章では、主にテレビドラマの側面から、台湾において連続ドラマ、ひいては日本ドラマが受容されていく(あるいは下火になっていく)流れを論じている。だが、アイドル文化はテレビドラマのみを通じて流通するものではないだろう。また、日本文化はテレビ以外でも、流行歌を通じて台湾に浸透していた。1972年以後の日華断交以後、テレビ番組はもとより日本映画も公開されない時代が続いたのは事実だ。が、水面下で日本の流行歌は台湾に流通し、台語・国語双方の日本曲カバーも盛んに行われて来た。そうした流れと「哈日」はどのような関係にあるのか、言及があってもよかったと思う。

 少し前に、中国からの留学生が中国におけるジャニーズファンについて発表するのを聞いたことがある(それも修士論文に基づく発表だった→こちら)。その発表に比べると、歴史的背景はちゃんと押さえられていたとは思う。だが、その中国についての発表のほうが面白かった部分は、ジャニーズファンのヒエラルキーの具体的な様相だった。インターネット上のコミュニティを通じて規定されるそのヒエラルキー、台湾においても同様なのかどうか、知りたかったところだ。

 もう一つ気になったのは、「J禁」について。そもそも日本において始まった、ボーイズラブ的二次創作。日本と比べて台湾のほうが盛んであるかどうかもはっきりしないが、もしそうであるならば台湾の特殊性を考慮にいれるべきではないだろうか。台湾の研究ではボーイズラブを「 ク ィ ア ・ マ ン ガ ( q u e e r c o m i c ) 」 と 見 なすことが多いという(こちらを参照)。その是非については議論はわかれるだろうが、セクシュラル・マイノリティへの理解が相対的に高い台湾でクィア文学が盛んに創作されていることと、この「J禁」と関連しているのかどうかについても言及して欲しかった。

 セクシュアリティと同時に、台湾ではエスニシティの複雑性についても広く認識されるようになり、原住民の権利も認められるようになってきている。ジャニーズファンを分析する際に、このエスニシティ、あるいは地域性の問題は考慮しなくてもよいのだろうか。特に日本に対するイメージはエスニシティによって異なる可能性があるのではないか。著者はこのジャニーズファン・コミュニティを地縁・血縁を乗り越えるものとして捉えているのかもしれないが、はじめからそのような要素を捨象してしまっているように見受けられるのは、やや物足りない点だった。

 ないものねだりの注文を書き連ねることになってしまった。とはいえ、他に類書がなく、このテーマに興味を持つ人にとつては必読本であることには変わりはない。著者の次の研究も心待ちにしたい。

 

台湾ジャニーズファン研究 (青弓社ライブラリー)

台湾ジャニーズファン研究 (青弓社ライブラリー)

 

 

 

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[1]長篇小説――邱妙津『ある鰐の手記』 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 1)

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[1]長篇小説――邱妙津『ある鰐の手記』 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 1)

 

 

 

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[2]中・短篇集――紀大偉作品集『膜』【ほか全四篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 2)

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[2]中・短篇集――紀大偉作品集『膜』【ほか全四篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 2)

 

 

 

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[3]小説集――『新郎新“夫”』【ほか全六篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 3)

台湾セクシュアル・マイノリティ文学[3]小説集――『新郎新“夫”』【ほか全六篇】 (台湾セクシュアル・マイノリティ文学 3)

 

 

 

 

 

フーガ 黒い太陽 (台湾文学セレクション)

フーガ 黒い太陽 (台湾文学セレクション)

 

 

 

東大院生。僕、ジャニ男(ヲ)タです。

東大院生。僕、ジャニ男(ヲ)タです。

 

 

 

『鸞鳳和鳴』と作詞家・李雋青

 今回は小ネタです。

 戦時上海~戦後香港で活躍した作曲家、梁楽音のことを調べていて思ったちょっとした感想。

 上海時代の梁楽音が作曲に関わった曲に、「紅歌女忙」がある(後述)。映画『鸞鳳和鳴』(1944)の挿入歌。この『鸞鳳和鳴』は、当時の上海を代表する歌手・周璇が出演した音楽映画で、日本支配下で撮られたという政治的背景もあって、現在でも簡単に見ることができない(私も未見の)映画だ。映画そのものを見ることは容易ではないが、梁楽音をきっかけにして、挿入歌を幾つかまとめて聞いてみた。その結果、この映画の作詞を一手に引き受けた李雋青(1897-1966) は、その活動のピークと呼ぶべき素晴らしい成果を残しているのではないか、と思った次第。

 まず、「討厭的早晨」(黎錦光作曲)。


周璇 - 討厭的早晨 - YouTube

ビバルディ『四季』を思わせるイントロからはじまるこの曲。だが、歌詞は中国の雑踏に暮らす庶民の感じる喧騒を描いたもの。そもそも「糞車」から始まる流行歌など、他に見たこともなく、普通ではない。だが、この歌はそれ以上に風刺に満ちていると言われる。「舊被面飄揚像國旗」(風に揺れるボロ布団は国旗のよう)、一説にはもとはボロ布団ではなく使い古しのオシメ(破尿布)だったといい、日本側からも国旗をオシメに喩えたとして問題とされたという(洪芳怡『天涯歌女―周璇與她的歌』133頁)。一方、「糞車」から始まる冒頭の歌詞、「糞車是我們的報曉雞」(汲み取り車は私らにとって夜明けを告げる鶏)の「報曉雞」は、なんと当時の日本の小磯内閣(「小磯」と「曉雞」は中国語で同音)を、風刺したものであり、米売の声は当時の専売制と密売への風刺、国旗のくだりは日の丸の強要への批判であるという(方翔『何處訴衷情』130-131頁)。この曲はもう一曲の挿入歌「可愛的早晨」(陳歌辛作曲)と併せて聴きたいところだがここでは省略。

 続いて、もっとすごいのが「不變的心」。


周璇 - 不變的心 - YouTube

 「あなたは私の魂/あなたは私の命/別れを経て私達はいっそうしっかり結ばれる/新たは星のように遠く蛍のように小さいけれど/明るさを少しでも感じられれば/すべてを変えることはできても/私の心は変えられない」
一応ラブソングの形を取りながらも、これを抗日のメッセージと受け取る人がいたのも当然だろう。作詞家の陳蝶衣はこの曲の抗日のメッセージに惹かれ作詞家を志したという(この映画の続篇的な『鳳凰于飛』は彼が作詞を担当したが、もしかすると李雋青が当局に目をつけられたことも影響?)
 実は映画中のこの曲の歌唱シーンはYoutubeにもアップされていて、バージョン違いが楽しめる。


周璇 不樂的心 ( 鸞鳳和鳴 movie ) 1944 - YouTube
0分12秒から映る指揮者、もしかして陳歌辛?(1分20秒辺りで黄河と交代するが)

もう一曲、この映画の抜粋をyoutubeで見ることができるのが、李厚襄作曲の「真善美』だ。


周璇 真善美 ( 鸞鳳和鳴 movie ) 1944. REPOST - YouTube

この時期、周璇もキャリアのピークに近く、美しい。真善美の代償は脳髄、心血、涙、狂気、沈酔、焦りだと歌い、真理の追求に代償が余儀なくされる現状批判とも受け止められる。

 さて、このように当時の日本の侵略や圧政を批判したとも受け取られるような歌詞を創作した李雋青だが、当時の流行歌の題名を散りばめたお遊びのような楽曲を創作している。それが冒頭で触れた「紅歌女忙」だ。


周璇 - 紅歌女忙 - YouTube

同曲は前半を梁楽音が、後半を嚴工上が作曲するという変わった作りだ。歌詞は「若い女性が流行歌を歌う、周璇の「瘋狂」(=「瘋狂世界」)、李香蘭の「売糖」(=「売糖歌」)」とある。周璇自身が「周璇」と唱うとは、松本伊代が「伊代はまだ十六だから」と歌うのに先んじること37年(だが、その「センチメンタル・ジャーニー」からすでに33年とは!)。だが。これは映画の挿入歌なので、映画の中のキャラクターが周璇のことを歌っているということになるのだろう。その他、周璇の「採檳榔」「送情郎」「郎是風兒姐是浪」、李麗華の「你也要回頭想」「晨光好」、姚莉の「賣相思」「送郎」、白虹の「鬧五更」などの題名が歌い込まれている。このような試みはおそらく上海の流行歌としては初めてではないだろうか。
 日本統治への批判・風刺、そして、このような歌詞に流行歌を織り込む遊び心など、李雋青のクリエイティビティが最も発揮されたのが、この『鸞鳳和鳴』ではないだろうか。

 

※(2014/5/9追記)上で紹介した、映画『鸞鳳和鳴』中の「不變的心」の(誤って「不樂的心」とされている)動画の12秒辺りで登場する指揮者、やはり作曲家の陳歌辛で間違いないようです。台湾大学の陳峙維さんを通じて、陳歌辛の子息・陳鋼氏に確認して頂きました。

 

周璇之歌 第一集 天涯歌女 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第一集 天涯歌女 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第二集 ?葉舞秋風 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第二集 ?葉舞秋風 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第三集 百花歌 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第三集 百花歌 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第四集 鍾山春 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第四集 鍾山春 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第五集 春花如錦 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第五集 春花如錦 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第六集 愛神的箭 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第六集 愛神的箭 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第七集 月下的祈禱 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第七集 月下的祈禱 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

周璇之歌 第八集 梅花曲 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

周璇之歌 第八集 梅花曲 (復?版) ~ 周璇 (香港盤)

 

 

 

蘭閨寂寂 蘭閨寂寂 (EMI 復黒版)(台湾盤)

蘭閨寂寂 蘭閨寂寂 (EMI 復黒版)(台湾盤)

 

 

雲南の戛洒で花街節を見る

雲南省新平県にはすでに数回調査に訪れている。今回は、201436日に新平の県城に入って見学し、37日に戛洒鎮に移動、78日の二日間を使って戛洒鎮周辺を調査した。

 今回が特殊だったのは、当地のタイ族(花腰)にとって年に一度の祭である花街節(赶花街とも)にちょうど出会ったことだ。我々が戛洒鎮に宿泊した7日から9日までがちょうど花街節にあたるとのことで、伝統的な歌垣や男女の愛のささやきが見られるかもしれない、と期待に胸が高鳴った。7日昼からすでに川沿いに屋台が立ち並んでいた。

f:id:changpian:20140307104056j:plain

 

道路上の屋台はタイ族のきらびやかな衣装などが並び、川沿いの広場には射撃により景品を撃ち落とすゲーム、ラクダ、奇形人ショウ、お化け屋敷など奇をてらったものが立ち並ぶが、刺青のコーナーは、もしかするとタイ族の文身の伝統とどこかでつながっているのかもしれない。

f:id:changpian:20140307104431j:plain

 

f:id:changpian:20140307104443j:plain

f:id:changpian:20140307104530j:plain

f:id:changpian:20140307104452j:plain

f:id:changpian:20140307104554j:plain

f:id:changpian:20140307104612j:plain

f:id:changpian:20140307104652j:plain

f:id:changpian:20140307105148j:plain

f:id:changpian:20140307105301j:plain

f:id:changpian:20140307105338j:plain

 夜八時からは、いよいよステージで歌舞ショウが始まった。我々は前方の位置を確保できたが、あっという間に人だかりができた。

f:id:changpian:20140307194914j:plain

 ショウの内容は、伝統的と呼ぶには程遠く、「花街はあなたを歓迎します」という歌や、民族衣装に身をまとったタイ族の男女(女性中心)の踊り。途中機材トラブルで中断があったが、それを含めても小一時間ほどでショウは終了した。

 f:id:changpian:20140307201242j:plain

f:id:changpian:20140307201405j:plain

f:id:changpian:20140307203721j:plain

f:id:changpian:20140307203843j:plain

f:id:changpian:20140307205608j:plain

 

 翌日はガサ鎮から南へ一キロ行ったところにある大檳榔園を見学。

f:id:changpian:20140308094515j:plain

といってもここ自体は大して見どころがなく、周りの二つのタイ族(観光村化している)と合わせた観光地として捉えたほうが良いだろう。大檳榔園の中にある幾つかの神樹は、彼らの村のものであった。

f:id:changpian:20140308095711j:plain

f:id:changpian:20140308100847j:plain

爆竹の音に引き寄せられて辿り着いたのが、その二つの村の一つ、曼李(曼理)村だった。

f:id:changpian:20140308103427j:plain

f:id:changpian:20140308103844j:plain

彼らによると、前日が花街節であり、この日は龍を祀る日とのこと。豚を解体して龍の木に祀る準備が進められていた。

f:id:changpian:20140308105107j:plain

その祭祀までには時間がかかるということで、我々は村を後にして、ガサの宿場町としての伝統料理、黃牛湯鍋を食べに、一旦退去。

f:id:changpian:20140308120739j:plain

2時に大檳榔園の龍の木を再訪したところ、すでに祭祀の儀礼は終わった後だった。例年はこの儀式は女性は参加できないとのことで、村中の男性が参加するとのことだったが、今年は偶然にも国際婦人デー(38)と重なったとのことで、年配の男性と、少し離れたところでその奥様連中が集っていた。我々一行(女性を含む)も参加を許され、いろいろ話を伺うことができた。

・昨日は村の連中も全員戛洒の祭りに行っていた。大檳榔園あたりでは花街節は行われていないが、近いうちに整備されて行われる見込み。

・神の木は、大豚、子豚、牛を捧げる木にそれぞれ分かれている。

文革中は龍の祭祀も、花街節も中断しており、80年頃復活した。

・祭祀を司るのは世襲ではなく、投票で決める。その家は準備が大変なので、余った食べ物はその家にあげることになっている。

 

f:id:changpian:20140308140354j:plain

 

f:id:changpian:20140308140612j:plain

f:id:changpian:20140308151439j:plain

 さて、6時からは大檳榔園のステージで、ショウが始まった。ここは食事を取りながらショウを楽しむことができる。が、なんと出演者は昨晩の花街節の出演者とほぼ同じメンバーだった。内容も、観光客向けの近代化されたもの。

f:id:changpian:20140308182355j:plain

f:id:changpian:20140308185637j:plain

 夜8時からは、彼らは戛洒に移動して、この日もステージを繰り広げていた。その近くではタイ族の踊りも見ることができた。だが、男女が縁を結ぶ伝統的花街は見られずじまい。

f:id:changpian:20140308202331j:plain

 それでは、当地の男女は現在ではどのように相手を探しているのだろうか。もしかするとこのチラシがヒントになるかもしれない。

f:id:changpian:20140311181709j:plain

f:id:changpian:20140311182006j:plain

花街節は観光客向けに姿を変え、彼らの縁結びも近代化したイベントに姿を変えた、ということだろうか。

梁楽音について(覚書)

以下は一ヶ月前にFacebookに限定公開で書いたメモ書きだが、どこに行ったかわからなくなりそうなので、ここに保存しておく。


 

しつこくも、服部良一が「中国の五人組」と呼んだ作曲家の一人、梁樂音について検索していて、googleブックスを検索すると、

上海百業人才小史 - 許晚成 - Google ブックス

を見つけた。

「275 ページ

上海百業人才小史 975 梅頌先年閱歲上海人明德女子中小學校長泰山路 683 號*梁樂音(覺民〉;律鈕歲廣東開平人聶會肆嫣於日本翀戶關西夜學校警察學校同文中華學校天健八里台商業割嗶校天津電話側?浦開學校日本大阪音樂學校 2 叭專科前任國民 ...」

 

中身をネット上で読むことはできないので、この文字化けしまくりの引用部分に頼ると、まず、梁樂音(覺民〉とあるのは、先日検索した全国報刊索引で、「梁樂音が戦後梁覺民と名を変えている」という記事を見つけたので、彼のことが記されていることは間違いない。

「廣東開平人」というのは

「中国の五人組」(服部良一)について - 備考欄のようなもの

に引用した『光藝』に掲載された記事が本籍を広東・順德とするのと微妙に異なっている。

 

「肆嫣於日本翀戶關西夜學校警察學校同文中華學校天健八里台商業割嗶校天津電話側?浦開學校日本大阪音樂學校」

の部分、推測するに

「肆業於日本神戶關西夜學校、警察學校、同文中華學校、天津八里台商業××[二文字不明] 校、天津電話側?[この三文字意味不明]南開學校、日本大阪音樂學校」

ではないか(ただし戦前には「警察学校」という名前の学校はない。同文中華學校というのは当時の神戸華僑同文学校、現在の神戸中華同文学校のことか)。

 

天津で学んだことも、『光藝』の記事に、「16歳で帰国し、天津の南開に学び、卒業後また日本に戻る」とあることにも合致する。とすると、注目したいのはその後ろの「日本大阪音樂學校」である。彼は現在の大阪音楽大学の前身、大阪音楽学校に学んだのではないか。大阪音大には博物館もあり、校史資料もあるようだ。問い合わせるか、訪ねると、何かわかるかも知れない。

 

一方、『上海百業人才小史』は日本では読めない。オンライン図書館の「超星」も久しぶりにチェックしたが所蔵なし、中国の古書サイトにもヒットせず。とりあえず、中国国家図書館、ハーバード・イェンチン図書館、コーネル大学図書館、等々にはあるようだ。

『FLY ME TO MINAMI~恋するミナミ』上映記念シンポジウム

f:id:changpian:20131128123630j:plain

 ネット上では、まだどこにも紹介がないようなので、告知します。
 リム・カーワイ監督の映画『FLY ME TO MINAMI~恋するミナミ』が関西で一般公開される12月14日の前日に、以下の様なシンポジウムが行われます。私も話題提供者として登壇いたします。皆様のお越しをお待ちしています。(ポスター画像を挿入して再投稿しました。)


 

シンポジウム「混成アジア映画がつなぐ東アジア世界――『Fly Me to Minami~恋するミナミ』が照らす世界」

 

グローバル化の進展に伴い、自己実現の手段として国境を越える人がますます増えています。共同体の境界線は緩やかになり、社会は混成化しつつあります。こうした混成性に積極的に目を向け、そこに新たな価値が創出される契機を見出そうとする「混成アジア映画」が、東南アジアや日本の映画人を中心に制作され、世界的な評価を得ています。本シンポジウムでは、日本・大阪ミナミと韓国・ソウル、中国・香港とをつなぐ『Fly Me to Minami~恋するミナミ』を混成アジア映画と位置づけ、同作品の監督で東アジアと日本の関係を焦点に描くマレーシア出身のグローバル映像作家リム・カーワイ監督をお招きし、混成性を高めつつある東アジアの今日的な状況をとらえるとともに、同作品が混成性を通じて照らし出そうする東アジア世界に迫ります。

【日時】20131213日(金)18:3020:30

【会場】大阪大学中之島センター 講義室301

530-0005 大阪市北区中之島4-3-53

 http://www.onc.osaka-u.ac.jp/others/map/index.php

 【パネリスト】

 ◆ゲストスピーカー

  リム・カーワイ(『Fly Me to Minami~恋するミナミ』監督)

 ◆話題提供

  西村正男(関西学院大学

 「内なるアジア/外なるアジア――リム・カーワイ監督の無国籍映画から」 

  宮原暁(大阪大学

   「『恋するミナミ』を読む地図――人の混成と心の混成」

 【参加方法】入場無料、事前申し込み不要

 【問合せ先】マレーシア映画文化研究会 malaysianfilm[#]cias.kyoto-u.ac.jp

([#]を@に置き換えてください)

 【作品情報】『Fly Me to Minami〜恋するミナミ』

 監督・脚本・編集:リム・カーワイ/2013年/日本・シンガポール/103分/英語・中国語(広東語)・日本語・韓国語。

 http://flyme2minami.com

 ◆上映情報

 1214日より 大阪:シネ・ヌーヴォ、第七芸術劇場、神戸:元町映画館、

 京都:元・立誠小学校・特設シアター

 1221日より 東京:オーディトリウム渋谷

 1228日より 名古屋:シネマスコーレ

 ◆あらすじ

 香港のファッション雑誌の美人編集者・シェリーンは会社の新しい方針に従い、嫌々ながら年末に大阪へ出張し、繁華街のミナミを取材。カメラマンが急遽同行できなくなり、彼女は現地通訳・ナオミの弟であるタツヤを雇うことに。だがミナミは、一年でもっとも忙しい時期。シェリーンは、アマチュア同然のタツヤと一緒にドタバタと取材を敢行。やがてふたりには恋愛感情が芽生えはじめるが、ある誤解でその恋の行き先は思いがけない方向へ転換されていく。

 

一方、キャビンアテンダントをしながら、ソウルでセレクトショップを経営する女性・ソルア。洋服などを仕入れるため大阪を往復する彼女には、在日韓国人の恋人・シンスケがいる。家庭を持ち、コリアンタウンで韓流グッズ店を経営しているシンスケとは数年前、彼がソウルへ語学留学に来た際知り合った。シンスケが日本に帰ってからも、ふたりの恋は続いているが、これ以上、微妙な関係に耐えられないソルアはある決意をする。

 

それぞれの苦しい恋は果たしてどんな結末を迎えるのだろうか。

 

主催:マレーシア映画文化研究会、京都大学地域研究統合情報センター

 共催:大阪大学グローバルコラボレーションセンター、京都大学地域研究統合情報センター共同利用共同研究プロジェクト「映画に見る現代アジア社会の課題」

 


 

マジック&ロス [DVD]

マジック&ロス [DVD]